作詞家、訳詞家、エッセイスト
安井 かずみ
Yasui Kazumi
原稿用紙とボールペン1本で、
もっと確かに満たされている自分
小柳ルミ子『わたしの城下町』、沢田研二『危険なふたり』、郷ひろみ『よろしく哀愁』……安井かずみは昭和を彩る名曲の数々を作詞しました。生涯4000曲もの歌を世に送り出した伝説の作詞家でした。
1939年、安井かずみは神奈川県横浜市で2人姉妹の長女として誕生しました。父親は東京ガスに勤める学究肌のエンジニアで、何不自由なく育てられます。そして、中学から難関のフェリス女学院で学ぶ傍ら、茶道、華道、日舞、ピアノにヴァイオリン、フランス語、英語など様々な習い事を身につけます。
やがて、画家を目指し文化学院美術科に進学、油絵を学びます。在学中のこと、ピアノのレッスン用にクラシックの楽譜を買いに行った楽譜会社で、英語の歌の訳詞でもめている場面に出くわします。楽譜が読めて英語が得意なかずみは覗き込んで、つい「そこ、こういう言葉になされば」と発言。こうしてひょんなことから訳詞家となったのです。
そして、坂本九の大ヒット『GIブルース』を始め『雪が降る』『ドナドナ』など、多数の訳詞を手掛けます。そんなある日、NHKから「きょうのうた」の依頼が。「作詞なんてやったことがなくためらった」かずみは、それでも中尾ミエが歌った『おんなのこだもん』を作詞。それが評判となり、伊東ゆかりの『おしゃべりな真珠』を作詞します。
これが日本レコード大賞作詞賞を受賞。26歳の時で「日本一若い作詞家」ともてはやされます。作詞の素人のかずみが心掛けたことは、「日常的な言葉を口語体のままメロディにのせる」「一枚の絵を描く要領で、ピッタリ当てはまるきれいな言葉を持ってくる」という美意識でした。
さらに注目されたのはかずみ本人でした。抜群のファッションセンスを持ち、六本木や赤坂で夜な夜な遊び、外国製のスポーツカーを颯爽と乗り回す。恋人には不自由せず、世界中を旅して回る自由奔放でスタイリッシュな生き方は若い女性達の憧れの的に。「みんなが寝ている時に猛然と仕事する。ひとの二倍は努力して、何事も一生懸命にする」―そんな地道に努力するカッコ悪い姿は決して誰にも見せないのでした。
1966年、かずみは大富豪の子息とローマで結婚。ニューヨークで暮らしますが、3年後に破綻―「原稿用紙とボールペン1本で、もっと確かに満たされている自分」に戻るべく帰国後、沢田研二のアルバムで作詞を再開。以来、ヒット曲を連発、エッセイも次々に刊行。そうした中、8歳年下のミュージシャン加藤和彦と熱い恋に落ちたのです。
「結婚とか恋愛があたくしの人生でした。人生をしているその産物が作詞となり、エッセイになるのです」―1977年、2人は結婚。お洒落なインテリア、ディナーは完璧な装いに着替えて必ず2人で、週末はゴルフにテニス、バカンスはハワイの別荘…、優雅なライフスタイルがマスコミを賑わします。「2人の間に燃える火を衰えさせないために、絶えず薪をくべていく作業を、お互いにしていかなければ」―2人の美意識に基づいた暮らしの維持が、薪を絶やさない秘訣なのでした。
しかし末期の肺癌が発覚、付きっきりの和彦の看病も虚しくかずみは55歳の若さで旅立ちました。「金色のダンスシューズが/散らばって/私は人形のよう」と書き遺して。
1939~1994年。神奈川県横浜市生まれ。本名は一美。作詞家、訳詞家、エッセイスト。文化学院美術科在学中にアルバイトで訳詞家となり、やがて作詞家に。数々のヒット曲を生み、エッセイも30冊以上刊行。愛称ズズで親しまれる。1977年、ミュージシャンの加藤和彦と結婚。以後、和彦の曲だけの作詞に従事し共著の本も発表。55歳で肺癌で逝去。加藤はかずみの一周忌を待たずオペラ歌手と結婚。程なく離婚し2009年に自死している。
参考文献/『安井かずみがいた時代』島﨑今日子著(集英社文庫)、『大恋愛』安井かずみ著(主婦と生活社)
