数学者、考古学者
マリア・ライへ
Maria Reiche
それは、私の運命でした。
これが私の仕事、
そのためにここまでやってきたのだ
1994年、南米ペルーの砂漠地帯に描かれた「ナスカの地上絵」が、ユネスコによって世界遺産に登録されました。幾度も消滅の危機に遭った遺跡を救ったのは、数学者マリア・ライへの孤独な闘いでした。
マリア・ライへは、1903年にドイツのドレスデンで生まれました。父親は裁判官、母親は大学に学んだ進歩的な女性でした。マリアは毎日のように近くの森や川で木登りや生き物をつかまえて遊びまわります。
「一日中好きなだけ歩いていられる」から将来の夢は郵便配達夫、というマリアが小学校を卒業する年に、第一次世界大戦で父が戦死。やがて家計が厳しくなり大学進学をあきらめますが、戦後の混乱でただ同然で大学に入れることに。そうしてドレスデン工科大学とハンブルク大学で数学や地理学、天文学などを学びます。
卒業後、ナチスが台頭し息苦しい時代に。「どうしてもドイツを出たい」―そんな時に見つけた南米ペルーでの『教師求む』の新聞広告に引き寄せられたのです。そして1932年、ペルーに到着。「澄み渡った空、遠くに連なる山々」に一目で魅入られてしまいます。首都クスコでドイツ領事の子供の家庭教師を2年間務めた後もヒトラーが支配する祖国には戻らないと決意。
そして、リマに住み教師や考古学者の助手として働きます。やがて1940年、ナスカに描かれたラインを研究し始めたアメリカの学者ポール・コソックと出会い助手に。翌年、帰国直前の彼が、マリアをナスカに連れ出し、乾いた大地に無数のラインが引かれているのを見せ天文学で解明できるのではと示唆。マリアはついに自分のライフワークを見つけたと確信します―「それは、私の運命でした。これが私の仕事、そのためにここまでやってきたのだ」
それからマリアの研究生活が始まります。着の身着のまま、ほんの少しの粗末な食事、寝るのは雨の心配のない砂漠。褐色の石ころをどかせば下の白い砂地が現れ、それがラインになっていました。こうして測量や地図作りをするうちに、直線だけでなくハチドリやクモなど巨大な地上絵が描かれているのを発見します。
「とてつもないスケールの絵を古代の人々がどうやって、何のために描いたのか」の謎に挑み、線が消えているところは石ころや砂をほうきで掃きます。飲み水を買いに町に出ると、ボロボロな姿でほうきを持つ彼女に子供たちは石を投げ「魔女だ」と囃し立てます。苦しい生活でも「いつもなにか、身体の中で新しいものがポッポッと芽を出している感じ」という情熱だけはありました。
1949年、それまでの研究をまとめた『砂漠のミステリー』を自費出版すると評判となります。1952年には長い尾をぐるぐると巻いた巨大なサルを発見―「体ごと飛び上がってしまった。こんな幸福感、味わったことがなかった」
しかし、砂漠を灌漑して農地にする計画や送電線と道路を巡らせ開発する計画が浮上。さらには宇宙人が描いたとする説が飛び出し、観光客や自称探検家、取材陣が殺到、地上絵がかき消されていきます。マリアは必死に保存を訴えていくのです。
こうした努力が報われ政府が保護政策へと転換。世界遺産にも認定され、マリアは「大平原の母」と尊敬されます。地上絵の研究と保護に情熱を捧げ生涯を費やしたのでした。
1903~1998年。数学者、考古学者。ドイツのドレスデン生まれ。ドレスデン工科大学卒業後、教師を経て南米ペルーに渡る。1940年、ナスカの地面に刻まれた直線を研究していたアメリカ人の学者ポール・コソックの助手となり、彼が帰国後も独りで研究、測量を続ける。巨大な地上絵の数々を発見するが消滅の危機に遭い、私財を投じ保護活動に身を捧げる。晩年、ドイツで医師をしていた妹のレナーテが一緒に住み、マリアを支え続けた。
参考文献/『ナスカ 砂の王国』楠田枝里子著(文春文庫)、『どうして僕はこんなところに』ブルース・チャトウィン著(角川文庫)
