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時を創った美しきヒロイン

画家、自然科学者

マリア・ジビーラ・メーリアン

Maria Sibylla Merian

私はすべての時間を
昆虫の観察と絵画の腕の向上に捧げよう

 ヨーロッパではかつて、古代ギリシャのアリストテレスの「虫は泥から発生する」という自然発生説が信じられていました。そんな時代の1660年、13歳のマリア・ジビーラ・メーリアンが、昆虫の正しいライフサイクルを発見したのです。

 マリア・ジビーラ・メーリアンは、1647年に、ドイツのフランクフルトで誕生しました。父親のマテウス・メーリアンは、版画家で出版社を経営し裕福な家庭でしたが、マリアが3歳の時に他界。母親は、花の絵を専門とする画家ヤコブ・マレルと再婚します。ヤコブの工房は常に生徒や弟子であふれ、マリアも絵を描くことが大好きな少女でした。

 そんな義理の娘の絵の才能に気づいた継父ヤコブは、絵画の技法を手ほどきします。ヤコブの絵は花々に必ず標本の昆虫やトカゲなどを添えて描くのが流儀でした―「花を描く際にはイモムシやチョウといった小生物で飾るようにしつけられた」。しかし、知的好奇心旺盛なマリアは標本の虫を描くうちに「生きている虫の本当の色や自然の中での生態を描きたい」という思いが募ります。

 そして、13歳で決意―「私はすべての時間を昆虫の観察と絵画の腕の向上に捧げよう」。マリアは幼虫を採集飼育し観察、「私はあの美しい蝶や蛾が、なんと幼虫から出現することに気づいた」。特に夢中になったのは蚕の研究。美しい絹糸を生み出す蚕は「すべての幼虫の中で最も役立ち気高い」からでした。

 こうしてマリアは、卵、幼虫、蛹(繭)、成虫へと姿を変えて変態(メタモルフォシス)をする昆虫の命の営みを発見。繊細緻密な絵に描き、観察記録を記述します。さらに、昆虫によって食餌となる植物が異なることも突き止めたのです。

 やがて、18歳で義父の徒弟である画家と結婚。ヨハンナとドロテアの2人の娘をもうけます。そして、画家として有名になっていたマリアは女生徒をとり、お手本として『新しい花の本』を3冊出版。好評となります。

 1679年、マリアは『幼虫の素晴らしい変態とそれぞれの餌となる植物』をようやく刊行。50種類もの幼虫のライフサイクルと餌とする植物、時にはその幼虫を捕食する生物まで原寸大で描き、解説文を添えた画期的な本でした。通称『幼虫の本』は大成功し、マリアは世界初の昆虫学者の1人となったのです。

 そして、継父の死を経て母親と2人の娘を連れ義兄のいるオランダに移住。母の死や離婚も経験する中、オランダ領南米スリナムの珍しい動物の標本を見て、一気に心を奪われてしまいます―「干からびた抜け殻でなく現地で観察したい」

 1699年、52歳のマリアは次女ドロテアを伴い出航―「命がけの旅だった」。そうして辿り着いたスリナムでは、色鮮やかな蝶や蛾、オウム、トカゲや蛇…、見るものすべてに歓喜し夢中で観察―「見たこともないものに驚かされていた」。しかし、熱帯の高温多湿に苦しみ病気に罹り、2年でやむなく帰国の途に。

 帰国後、病と闘いながらスリナムでの研究成果を編集し、『スリナムの昆虫』を第2巻まで出版。エキゾチックな生き物の美しい図版に人々は驚嘆します。しかし1717年、第3巻刊行目前に69歳で生涯を終えました。科学的探究心に生きたその偉業により、今も数十種の生物や植物に彼女の名が遺されています。

Profile

1647~1717年。ドイツ、フランクフルト生まれ。画家、自然科学者。継父に絵画を学ぶ。13歳で昆虫に興味を持ち、幼虫の飼育観察を始め、昆虫の変態過程を突き止める。卓越した絵画の技術による正確な図と観察記録の『幼虫の本』を刊行、世界初の昆虫学者の1人となる。52歳で当時のオランダ領南米スリナムに渡り、昆虫や爬虫類、両生類などの研究に没頭。『スリナムの昆虫』を著し、高く評価された。娘2人も画家に。