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時を創った美しきヒロイン

モデル、写真家、戦場ジャーナリスト

リー・ミラー

Lee Miller

私のエネルギーも、それまでに築いてきた信念も、
すべてが一緒に縄を解かれました

 モデル、写真家、戦場ジャーナリスト、料理家など多彩な才能を発揮した女性がリー・ミラーです。でも、そんな活躍を人生半ばで「ずっと昔のこと」とつぶやくのでした。

 1907年、エリザベス・ミラー、愛称リーはアメリカ、ニューヨーク州で誕生しました。父親は、頑固で探究心旺盛なエンジニア。発明家でアマチュアカメラマンでもあり、この気質がリーに受け継がれます。

 リーは7歳で、一家の知人から性被害を受け、10代でデートの相手が心臓麻痺で急死という悲劇に見舞われます。そのため両親は娘を甘やかし放題に。当然ながらすべてが自分の思うままという生き方を身につけたリーは、18歳でパリへ。新しい芸術と自由に満ち溢れたパリにすっかり陶酔し、アートを学びます。

 そして帰国後、ニューヨークの雑踏で車に轢かれそうになったリーを助けたのが雑誌『ヴォーグ』の社長。その縁で同誌のモデルとなったのです。美しい体型と顔立ち、輝くブロンドヘアでたちまちトップモデルに―「私は可愛かった。天使みたいだった。中身は悪魔だったけど」

 しかし、モデルに飽き足らず写真家を目指して再びパリへ。シュルレアリスムの美術家で写真家のマン・レイのもとへ「今日から弟子になりました」と押しかけます。その日から3年間、助手兼恋人となるのです。研究熱心なリーは写真技術を究め、自分のスタジオを持つまでに。

 そして、マン・レイに別れを告げニューヨークでスタジオを開設。風景、静物、人物などあらゆる対象にリーのセンスが発揮され、注目されます。しかし、その名声をあっさり捨て、エジプト人実業家アジズと結婚、カイロへ渡ったのです。「自分のことは自分で決める。何者からも束縛されない」と、常に新しい境地、恋、変化を求めてやまないのでした。

 しかし、カイロでの社交生活にすぐにうんざり。「心のどこかでチクタク音がして、寝ても覚めてもいらいらして、何をどうしていいのか満足に考えることができない」リーは、心の疼きを砂漠や辺境への冒険で解消しようと幾度か旅立ちます。その途中、イギリス人のシュルレアリスム画家で詩人のローランド・ペンローズと不倫の恋に落ちロンドンへ。

 ロンドンでは『ヴォーグ』のカメラマンとなりますが、すでに第二次世界大戦が勃発。そして、凄まじい空襲に感じたのは恐怖ではなく刺激でした。そんな戦時下に、退屈なファッション写真ばかりの『ヴォーグ』に反発、ナチスの空襲で破壊されたイギリスを撮影した写真集『灰色の栄光』を出版し称賛されたのです。

 そして、危険を顧みず自らヨーロッパ戦線に身を投じ取材―「私のエネルギーも、それまでに築いてきた信念も、すべてが一緒に縄を解かれました」ドイツでは、強制収容所で怒りにまかせてシャッターを切り、「コレハ、シンジツダ。シンゼヨ」と『ヴォーグ』宛に電報を打ちます。

 しかし、戦争の狂気を体験したことがリーに深いダメージを与えました。戦後、ローランドと正式に結婚し息子も生まれますが、救いにはならず、鬱に苦しみます。そんなリーが光を見出したのが料理研究でした。

「私はシンデレラじゃない。ガラスの靴に足を合わせることなんかできない」と心のままに生き、写真にも文章にも料理にも最高を究めたリーが亡くなったのは70歳の時でした。

Profile

1907~1977年。アメリカ、ニューヨーク州生まれ。モデル、写真家、戦場ジャーナリスト。『ヴォーグ』のトップモデルを経て、22歳でパリでシュルレアリスムの写真家マン・レイの助手兼恋人となる。25歳でニューヨークにスタジオを設立、人気写真家に。第二次世界大戦で従軍記者兼カメラマンとなり、戦闘の最前線や傷病兵、戦場、女性兵士、ユダヤ人強制収容所などを報道。戦後はイギリスの農場で暮らし、料理研究家としても活躍。