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時を創った美しきヒロイン

俳優、声優、エッセイスト

大山 のぶ代

Oyama Nobuyo

これを見てくれている子どもたちは、
みんな私の子どもみたいなものだ

 国民的アニメ『ドラえもん』の役を26年間務めた大山のぶ代は、個性的な声で人気を集めました。しかし、その陰には様々な涙もありました。

 大山のぶ代は、昭和8(1933)年に現在の東京都渋谷区恵比寿で、曾祖父母、祖父母、父方の叔父叔母まで同居する大家族の13人目に生まれました。「私は生まれた途端、12人の家庭教師を持った。こんな幸せなことはなかった」と大人たちから生きる知恵を学びながら人一倍おしゃべりな女の子に育ちます。

 でも、産声からユニークな声で近所では「ドラ声ののぶ代ちゃん」と呼ばれます。祖母は「お前は可愛くて愛嬌がある」と気にしません。

 しかし、中学校に上がるといじめが。「お前の声、ぶっ壊れてるぞ」とからかわれ次第に無口に。異変に気づいた母親に打ち明けると、「声が弱点と思ってかばってばかりいたら、ますます弱くなっちゃうよ。明日からドンドン声を出すようなクラブに入りなさい」と励まされます。

「お母さんの言うとおりだ」とのぶ代は翌日、放送研究部に入部。さっそくマイクに向かって全校放送を開始します。たちまちクラスの恥だと大騒ぎになりますが、めげずに続けるうちに罵倒が消えていきます。放送劇にも挑戦し好評に。演劇部にも誘われて大活躍。母親の助言でコンプレックスを克服したのです。

 しかし高校に進学すると、大好きな母親ががんで入院。のぶ代は病室に泊まりきりで看病し病院から通学しますが、42歳で他界します。涙を流しながらのぶ代は決意します。「私もがんになったら子どもが可哀想だから、一生結婚はしない」

 独身で生きる術を考えた末に「俳優なら一生食べていける」と、俳優座養成所に入ります。父親は激怒し「役者になるなら出ていけ」と勘当に。でも運よくテレビドラマが始まっていた当時、様々な役がつきます。さらに、声が少年に向いていると、洋画の少年役の吹き替えや、N‌H‌Kの人形劇『ブーフーウー』の長男ブーの声で人気となったのです。

 そして、独身主義のはずが舞台で共演した縁で初代たいそうのおにいさん砂川啓介と30歳で結婚。しかし、最初の子は死産。待望の次の子はわずか3ヵ月の命でした。息絶えた小さな体を抱きしめ号泣するのぶ代に啓介は慰める言葉もありません。

 そんな哀しみを乗り越えた40代のこと、「ドラえもん」をやってみないかという話が。のぶ代はコミック15巻全部を買い一晩で読み終えます―「これは大人が読んでも面白いS‌F。心をギューッと掴まれた」。そして、「未来から来た子守り用ロボットなら悪い言葉はインプットされていないはず」と、台本の乱暴な言葉を改めます。挨拶も丁寧にと考え「こんにちは、ぼくドラえもんです」の愛されセリフを生み出しました。

 そして、第一作を見た原作者の藤子・F・不二雄から「ドラえもんって、ああいう声だったんですね」と誉め言葉が。こうしてスタートしたアニメは高視聴率に! ドラえもんは息子同然に愛着がわき、他の出演は一切断ります。しかし、67歳で直腸がんになったことがきっかけで26年間続いた役を勇退したのです。

「自分の子を残せなかったけど……これを見てくれている子どもたちは、みんな私の子どもみたいなものだ」―そんな熱い思いでドラえもんを全力投球で演じきったのでした。

Profile

1933~2024年。俳優、声優、エッセイスト。東京都生まれ。都立三田高校在学中に俳優座養成所に入学。1956年にNHKドラマ『この瞳』でデビュー。多くのドラマやバラエティー番組に出演。『名犬ラッシー』の少年役の吹き替え、『ブーフーウー』、『ハリスの旋風』など声優でも活躍。1979年からドラえもんの声を26年間演じる。料理が得意で料理本を多数刊行。晩年は認知症を患い、介護していた夫・砂川啓介が2017年に先立った。

参考文献/『ぼく、ドラえもんでした。』大山のぶ代著(小学館文庫)、『娘になった妻、のぶ代へ』砂川啓介著(双葉社)