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時を創った美しきヒロイン

浅井三姉妹

茶々・初・江

Azaisanshimai

花もまた君のためにと咲き出でて
 世にならびなき春にあふらし 

 戦国の世の1573年、現在の滋賀県長浜市にあった小谷城が織田信長に攻められ落城しました。城主の浅井長政は、妻で織田信長の妹・市と3人の幼い姫たちを城外に逃がした後で切腹して果てました。

 三姉妹の長女・茶々は1569年、次女の初は1570年、三女の江は1573年に戦国大名・浅井長政と、天下一の美女と名高い市の間に生まれました。浅井家滅亡後、市と三姉妹は織田一族のもとへ。やがて、本能寺の変で信長が横死すると、1582年に市は柴田勝家と再婚。三姉妹を連れ越前北の庄城に嫁ぎます。

 しかし、結婚の翌年に北の庄城は豊臣秀吉により落城。勝家は妻子を逃がそうとしますが、市は拒みます。三姉妹も「母上とどこまでも」と訴えますが、市は「そなたたちは生き延びよ」と別れを告げます。そして、「さらぬだに打ちぬる程も夏の夜の夢路をさそふほととぎすかな(夏の夜に死出の旅路に誘うようにホトトギスが鳴いている)」と詠み、勝家と運命を共にしたのです。

 秀吉にとって市は手の届かぬ長年の憧れの人。それなのに小谷城攻めの先頭も、北の庄城を滅ぼしたのも秀吉。三姉妹は親の仇である秀吉の庇護のもと肩を寄せ合って育ちます。そして、美しく聡明に成長した三姉妹の運命が大きく変わるのです。

 まず末っ子の江が、秀吉の命で二度の結婚を経て、22歳で徳川家康の息子で後の二代将軍秀忠の正室となります。6年下の秀忠は才覚ある江を頼りにし、側室も置かず二男五女を授かります。江は三度目の結婚でようやく安寧の日々を得ました。

 次に初が、従兄にあたる京極高次と結婚。子には恵まれませんでしたが、苦労を共にしながら高次を支え、名門ながら衰退していた京極家を見事、大名に復活させました。

 そして、市の生き写しと言われた茶々は、19歳でなんと32歳年上の秀吉の側室に。初と江は仰天しますが、実は、茶々をしつこく口説く秀吉に「妹たちの縁組を整えていただければ」と、妹2人の結婚を見届けて仇敵に身を差し出したのです。やがて、秀頼を出産。跡継ぎを得た秀吉はこの世の春を謳歌。絵巻に残る盛大な宴「醍醐の花見」を開催します。

「花もまた君のためにと咲き出でて世にならびなき春にあふらし」―桜の花があなたのために咲き誇っている。この世に並ぶものはありませんと、茶々は太閤秀吉を称えます。

 しかしその半年後、秀吉が病没。いよいよ家康躍進の時となり、関ヶ原の戦いで勝利し江戸幕府を開くのです。その政権交代を「いずれ秀頼が将軍になる」と認めない茶々と家康が対立。大坂冬の陣へと突入します。江は秀忠に、「秀頼と(秀頼に嫁いだ娘の)千姫、姉上を救ってください」と必死に懇願しますが…。

 姉と妹の敵対に心を痛めた初は、和平交渉の使者として尽力。何とか停戦したものの、すぐに大坂夏の陣が勃発。この時も初が動きますが、願いも空しく茶々と秀頼は千姫を逃がし、炎に包まれた大坂城に散ったのです。最期に初に「浅井家を忘れないでと江に伝えて」と言い遺して。そして、姉の命と引き換えに乱世が終わったことを初は「なかば恨みなかばよろこぶ」と綴りました。

 こうして数奇な運命に翻弄され、ドラマチックな生涯を送った浅井三姉妹は、戦国を代表する姫たちとして歴史に名を遺したのです。

Profile

茶々(1569~1615)、初(1570~1633)・江(1573~1626)。浅井長政と織田信長の妹・市の間に生まれる。二度の落城で両親を亡くし、豊臣秀吉の養女となる。茶々は秀吉の側室となり秀頼を産むが、大坂夏の陣で秀頼と共に自害。初は京極高次に嫁ぎ大名の奥方に。江は三度目の結婚で、後の二代将軍・徳川秀忠の正室に。二男五女を産み、長男は三代将軍家光に。五女の和子は後水尾天皇に入内し、その娘は女帝・明正天皇となる。

参考文献/『お江 浅井三姉妹の戦国時代』武光誠著(平凡社)、『浅井三姉妹を歩く』長浜市長浜城歴史博物館編(サンライズ出版)