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時を創った美しきヒロイン

時を創った美しきヒロイン

女優

ヴィヴィアン・リー

Vivien Leigh

私こそスカーレットにぴったりです

 1938年12月、ハリウッドの撮影所で超大作映画『風と共に去りぬ』の撮影が始まりました。大物プロデューサー、デイヴィッド・セルズニックが、2年半の歳月をかけてもまだヒロイン役の女優が決まらず、とうとう撮影開始を決定したのです。するとそこへ、イギリスの女優が見学に。そのヴィヴィアン・リーこそ、原作者マーガレット・ミッチェルが描いたヒロイン、スカーレット・オハラそのものでした!

 この伝説となったスター誕生のストーリー、実は、ヴィヴィアンが自ら勝ち取った大役だったのです。

 ヴィヴィアンは、1913年インドで、裕福なイギリス人家庭に生まれました。そして、6歳でイギリスの修道院学校に入れられます。両親と離れ、孤独な寄宿生活の中で夢見たのは女優になることでした。

 18歳で学校を卒業すると、王立演劇アカデミーに入学。しかし間もなく、ハンサムなエリート弁護士リー・ホルマンと恋に落ち、結婚します。19歳で女の子を出産。けれども、女優への夢をあきらめきれず、端役で映画や舞台に出演し始めます。
21歳の時、ヴィヴィアンは英国演劇界のプリンスと称賛されていたローレンス・オリヴィエの舞台を観て、たちまち一目惚れ――「いまにきっと、私はこの人と結婚するわ」

 そして、映画『無敵艦隊』で共演した二人はW不倫の激しい恋に落ちてしまいます。オリヴィエは身重の妻を、ヴィヴィアンは夫と幼い娘を捨てて結ばれ、しかもヴィヴィアンはイギリスの人気女優の座まで手に入れたのです――「心の中で強く願うと、必ず手に入ると信じている」

 その頃、映画化が決定した話題の小説『風と共に去りぬ』を読んだヴィヴィアンは感動――「これほど心を奪われた小説はありません。私こそスカーレットにぴったりです」

 オリヴィエが映画の撮影のためハリウッドに渡ると、ヴィヴィアンも愛する彼を追ってアメリカへ。オリヴィエは、彼女をなんとかして『風と共に去りぬ』のプロデューサー、セルズニックに面会させようと協力。ようやく撮影所で対面できたのです。その場で、スカーレット役を獲得したヴィヴィアンは、文句なしでアカデミー主演女優賞に輝きました。

 やがて、オリヴィエがシェイクスピア役者として評価を高め、ナイトの称号を授けられる一方、ヴィヴィアンは何年経っても「スカーレット」と呼ばれるばかり…。しかも、オリヴィエの子供を切望していたヴィヴィアンは二度も流産。結核も患い、精神が不安定になっていきます。

 そんな中、37歳で演じた『欲望という名の電車』のブランチ役で2度目のオスカーを手に入れます。狂気の世界に落ちていく悲惨なヒロインを見事に演じきりました――「私には彼女の心がよくわかるの」

 しかし、ヴィヴィアンの躁鬱病はひどくなり、ついにオリヴィエとの結婚を解消。そして、病に苦しむヴィヴィアンに寄り添ったのが7歳年下の俳優ジャック・メリヴェールでした。彼の献身的な支えを得て、ヴィヴィアンは舞台に情熱を傾けます。53歳で急死する直前まで、次の舞台の稽古にいそしんでいました。

 「そう、明日に望みを託して」――まさにスカーレットの台詞のように、あきらめることを知らず、美しく、気高く、情熱的に生きた生涯でした。

Profile

1913~1967年。女優。インド生まれ。6歳で祖国イギリスの修道院学校に入学。卒業後、王立演劇アカデミーに学び、映画や舞台に出演。映画で共演したローレンス・オリヴィエとダブル不倫の末に結ばれる。渡米したオリヴィエを追って、ハリウッドへ。そこで『風と共に去りぬ』のスカーレット役を射止め、’39年にアカデミー主演女優賞を獲得。’52年にも『欲望という名の電車』で2度目のアカデミー賞に。他代表作に『哀愁』『アンナ・カレーニナ』など。