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時を創った美しきヒロイン

時を創った美しきヒロイン

作家

パール・バック

Pearl Buck

人はすべて人間として平等であること、
また人はみな人間として同じ権利を持っていること

 1931年3月、アメリカで中国を舞台にした小説『大地』が出版されました。当時、アメリカでは中国は野蛮な人々が住む未開の地と思われていました。ところがこの小説に登場するのは、アメリカ人と変わらず葛藤し、苦闘し、愛し合う人々。困難に負けずたくましく生きる農民たちの姿が共感を呼び、たちまち大ベストセラーに! そして、ピューリッツァー賞を受賞したのです。

 さらに作者のパール・バックは、1938年にノーベル文学賞まで受賞するのですが、彼女はある“秘密”を抱えていたのです。

 パールは中国で活動する宣教師の娘で、両親が祖国に里帰りした折の1892年に生まれました。一家はすぐに中国へ戻り、パールは「自分は中国人」と思って育ちます。

 長じてアメリカの大学で学んだパールは再び中国へ。そして、1917年に農業経済学者のジョン・ロッシング・バック博士と結婚。夫の農業指導の仕事に通訳として同行したパールは、過酷な大地で生きる農民たちを目の当たりにするのです。

 そして、結婚から4年後に女児を出産。「まるで夢を見ているような気持ち」になるほどきれいな赤ちゃんで、キャロルと名付けます。しかし、キャロルは3歳になっても話ができません。不安にかられたパールは、娘を連れて医者巡りをします――「長い悲しい旅が始まったのです」。ついには渡米して病院を回った結果、診断は知的障害児で治る見込みはないというもの。「どうしてこの私がこんな目に遭わなくてはならないの?」と思わず叫ぶパール。

 絶望のまま帰った中国は動乱のさなかでした。白人襲撃事件が勃発し、「私が死んだらこの子はどうなるの?」という恐怖がパールを襲います。そして、自分の悲しみにばかり囚われていたパールは、娘の無垢な笑顔に「幸福こそが、彼女の世界」と気づくのです。悩んだ末、9歳になったキャロルの幸福を願ってアメリカの養護学園に預けます。

 中国での体験をもとに少しずつ論文や小編を書いていたパールは、娘を手放した虚しさを埋めるように本格的に創作活動に打ち込みます。多額の養育費も必要でした。そうして、大作『大地』を書き上げます。作中には、皆に大切にされる知的障害児の娘が登場します。パールの秘めた思いが込められていました。

 この作品でパールはたちまち有名人になってしまいます。しかし、障害者への偏見が根強く、迫害されていた時代。キャロルに世間の冷たい風が当たることを恐れたパールは娘の存在を隠します。その最愛の娘に愛情を示さない夫とは離婚して永住帰国。キャロルの学園の近くで執筆活動に専念することにしました。

 やがて、パールは人道的活動に突き進んでいきます。人種差別撤廃、女性差別撤廃、反戦運動…。米兵がアジア各地にもたらした混血児の救済活動にも取り組みます。

 1950年、「私がこの話を書く決心をするまでには、ずいぶん長い間かかりました」という書き出しの『母よ嘆くなかれ』を発表。ついに“秘密”を公表しました。パールの虐げられた人々への深い愛の原点が明らかにされたのでした――「人はすべて人間として平等であること、また人はみな人間として同じ権利を持っていることをはっきり教えてくれたのは、他ならぬ私の娘でした」

Profile

1892~1973年。作家。アメリカで生まれ、中国で育つ。アメリカの大学を卒業後、再び中国へ宣教師として戻る。’17年に結婚し、一女をもうけるが知的障害児であった。代表作『大地』でピューリッツアー賞受賞。’38年にはノーベル文学賞受賞。西側諸国とアジアの公平な交流のために東西協会を設立した他、人種差別撤廃運動や混血児救済運動に邁進した。