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時を創った美しきヒロイン

フォト・ジャーナリスト

マーガレット・バーク=ホワイト

Margaret Bourke-White

自分の目で正視できなかった。
カメラのレンズが恐怖から守ってくれた

 1936年11月、アメリカで世界初の写真週刊誌『ライフ』が創刊されました。表紙と巻頭を飾ったのは、モンタナ州の巨大なダムの建築現場を撮った堂々とした写真群で、有名なスター写真家マーガレット・バーク=ホワイトの作品でした。

 マーガレットは、1904年にニューヨークでホワイト家の次女として生まれました。父親は印刷機械の技術者で、口癖は「やればできる」。母親の口癖は「人のやらないことをしなさい」。そして、両親は「恐怖心は人間にとって大きな弱点になる。怖がるな」と言い聞かせます。

 そんな育てられ方をしたマーガレットの少女時代の夢は、「爬虫類学者になること。探検隊と旅をすること」でした。ある日、父親に連れられて印刷機械の鋳造工場を見学します。音を立てる大きな機械、火花を散らし溶け出す鉄の光景は、彼女の脳裏に焼き付きました――「あまりの美しさに言葉が出なかった」

 やがて、コロンビア大学、コーネル大学など6つの大学で学ぶ中で父親が急逝し、マーガレットは、父が手ほどきをしてくれた写真の道に進むことを決意。まだ、写真家という職業が確立していなく、爬虫類学者よりは道が拓けそうだからでした。そしてその頃、激しい恋に落ち学生結婚をしますが、すぐに破綻します。

 卒業後、彼女が被写体に選んだのは、「工業」でした。ダム、鉄工所、造船所――「工業は自然と違って自分の美しさを隠している。私はそれを探しにいかなければならない」

 無機質な鉄とコンクリートをドラマティックに写すマーガレットの写真はたちまち評判となります。そして、経済誌『フォーチュン』創刊号の写真に続き、『ライフ』創刊号の表紙に抜擢されたのです。

 しかし、時代は大恐慌で悲惨な現実に目を背けることができず、南部の社会派作家アースキン・コールドウェルと手を組みます。マーガレットが深南部の貧困にあえぐ小作農民を撮り、アースキンが文章を書いた写真集『彼らの顔を見たかい』を1937年に出版――「飢え、疲れきった農民たちにカメラを向けることは本当につらかったけれど、そこで初めて私はカメラマンからジャーナリストになったのだと思う」。そして、2人は結婚しますが、結婚生活は長く続きませんでした。

 1941年にはソ連入りをし、スターリンの撮影に成功。さらに、ドイツ軍のモスクワ夜間爆撃を撮影。外国人写真家による特ダネでした。

 その翌年、女性初の従軍カメラマンとして戦地に派遣されます。乗り込んだ旗艦がドイツ軍に撃沈されても、救命ボートの上で気丈にシャッターを切る彼女の姿がありました。戦争末期にはドイツに侵攻し、想像を絶するユダヤ人強制収容所を目撃。カメラを持つ手が震えます――「この時ほどカメラを持っていることを有り難いと思ったことはない。自分の目で正視できなかった。カメラのレンズが恐怖から守ってくれた」

 大戦後も、各地の紛争地域を取材し、暗殺直前のガンジーを撮影。この頃からパーキンソン病を発症しますが、弱音を吐くことはありませんでした――「二度の結婚失敗も、この病気さえも、私の成長と発展のために必要だったのです」。

 カメラを携え、幾つもの世界初を成し遂げたマーガレットが、闘病の末に亡くなったのは67歳の時でした。

Profile

1904~1971年。フォト・ジャーナリスト。アメリカ、ニューヨーク市生まれ。コロンビア大学で写真を学ぶ。工場やダムなどの機械美を撮り注目され、経済誌『フォーチュン』、写真誌『ライフ』の表紙に抜擢される。ソ連革命政府から取材を許可された西側初のカメラマンに。第二次世界大戦では女性初の従軍カメラマンとなり、ユダヤ人強制収容所の解放にも立ち合う。戦後、インド、パキスタン、南アフリカ、朝鮮から報道し続けた。