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時を創った美しきヒロイン

ファッションデザイナー

ヴィヴィアン・ウエストウッド

Vivienne Westwood

すてきな服を着れば、
より良い人生が送れるの

 「私には特別な才能があるの。5歳で靴を作れるくらいにね」――こう言ってのけたのはヴィヴィアン・ウエストウッド。かつて「パンクの女王」と異名をとった世界的ファッションデザイナーです。

 ヴィヴィアン・ウエストウッドは、1941年にイングランド中部の小さな村でヴィヴィアン・イザベル・スウェアとして、労働者階級の家庭に誕生。読書と近くの野原で遊ぶのが大好きな少女で、得意なのは物づくり。5歳で靴を作り、12歳の頃から自分の服を作り始めます。

 16歳の時、生まれて初めて美術館を訪れたヴィヴィアンは、名画の数々に感動――「あれが私の人生を変えた」。すっかり美術にのめり込んで美術学校に進学しますが、「芸術では食べていけない」と退学。教員養成学校で学び、教職に就きます。その頃、21歳でデレク・ウエストウッドと結婚。すぐに長男ベンが生まれますが、自分から離婚を切り出します。

 シングルマザーとなったヴィヴィアンは、年下の学生マルコム・マクラーレンと出会います。大きな理想を語る彼に「マルコムがいるだけで、自分の世界がきらきらしてくるの」。こうして伝説のカップルが誕生。次男ジョーも生まれます。でも実のところ、マルコムは大言壮語する目立ちたがり屋、嫉妬深く子供が大嫌い。後々一家に災いをもたらすのです。

 子育てに一切協力せず収入もないマルコムと、子供2人を抱え孤軍奮闘、疲労困憊するヴィヴィアンは、それでも前向きでした。そして、キングスロード430番地の店を借り、マルコムが集めていた中古レコードや雑誌を2人で売り始めます。

 その頃のヴィヴィアンは、後にみんなが真似するツンツンヘア、奇抜なファッションで目立つ存在の教師でした――「すてきな服を着れば、より良い人生が送れるの」。そんな彼女が教師を辞め、最後の給料でミシンを購入。マルコムの発想も取り入れ、メッセージを描いたTシャツ、安全ピンやチェーン、鋲をあしらうなど手製の過激な服を店に並べます。それらは、パンクファッションと呼ばれ、パンクロックと共に一大ムーブメントを巻き起こしたのです。

 やがて、マルコムが音楽業界へ舵を切り、2人は決別。一方、ヴィヴィアンは「自分の才能を活かして本格的なデザイナーになろう」と決心。ロマンティックな歴史的衣装にインスパイアされた、物語性のあるコレクションを次々に発表します――「服のデザインには物語と個性が必要なの」。たちまち注目を集めますが、マルコムは彼女が妬ましく、自分がデザインしたと公言したのです。

 1983年には念願のパリ・コレクションを開催しますが、マルコムの妨害に遭い、成功が泡と消えました――「何もかも粉々に砕け散ってしまった」。無一文になったヴィヴィアンは、息子2人と母親と力を合わせて再建に邁進します。生活保護に頼り、電気を止められた店でロウソクを灯して在庫やサンプルを販売。

 こうして、不屈の精神でイギリスファッション界の女王になったヴィヴィアンは、エリザベス陛下から労働者階級出身初のデイムの称号を授けられました。さらに、「すべてのことはつながっている」と、環境保護や人権擁護活動の闘士として活躍。「世の中をかき回すために生まれてきた」――2022年に亡くなるまで世界を挑発し続けた生涯でした。

Profile

1941~2022年。ファッションデザイナー。イングランド中部生まれ。美術教師時代にマルコム・マクラーレンと2度目の結婚。2人でロンドンのキングスロードでパンクムーブメントを巻き起こし「パンクの女王」と呼ばれる。その後、歴史的衣装に着想を得たロマンティック路線に。アヴァンギャルドでエレガントな世界的ブランドに育て、数々の受賞や受勲歴に輝く。3人目の夫は25歳年下。環境保護や人権擁護などの運動でも活躍した。