飛行士
アメリア・イヤハート
Amelia Earhart
女性でもチャンスさえ与えられれば、
立派に自力でやれる
1928年6月17日、カナダのニューファンドランドを飛び立った飛行機がイギリスのウェールズに到着しました。乗組員には30歳の女性パイロット、アメリア・イヤハートがいました。アメリアは初めて大西洋を横断した女性となり、一躍全米中のヒロインとなったのです。
実際に操縦していたのは男性パイロットでしたが、女性が飛行機に乗るだけでも快挙という時代。でもアメリアは、「いつか自分一人で挑戦するわ」と決意を新たにします。
アメリアは1897年にアメリカ、カンザス州の小さな町で誕生しました。冒険ごっこが大好きなお転婆な女の子でした。でも、父親の仕事がうまくいかず引っ越しと転校を繰り返すうちに、読書と詩作に喜びを見出すようになっていきます。
やがて、祖母の遺産で女子大学に進学しますが、カナダにクリスマスで訪れた時のこと。第一次世界大戦の負傷兵を目の当たりにしたアメリアは、衝動的に病院で働くことに。そんな中、休日に博覧会場で目にしたのが曲技飛行でした――「恐れと喜びとが同時にこみあげてきた」
次に、コロンビア大学で医学を学び直すことにしたアメリアは、夏休みに航空ショーの飛行機に同乗するチャンスに恵まれます。「息が止まるくらいすばらしい」飛行中に、「私はどうしてもパイロットになる」と決心。今こそ青春の迷いは吹っ切れ、進むべき道を見つけたのです。
アメリアは大学を中退し、飛行訓練所に通います。高額な授業料を捻出するため様々なアルバイトに励み、髪もショートカットに。そして、念願のパイロットとなったアメリアは、高度記録を更新するなどしますが、両親が離婚。一旦、飛行をあきらめ母親と妹との生活を優先、ソーシャルワーカーとして移民の子供達に英語や勉強を教え始めます。
そうした1927年、リンドバーグが大西洋単独横断飛行に成功。その矢先、アメリアに大西洋横断飛行の話が持ち込まれます。女性パイロットを探していたスポンサーの代理で編集人のジョージ・パットナムはアメリアをすぐに抜擢。結果、冒頭のように見事に成功したのです。
チャーミングで知性的、ショートカットで颯爽としたアメリアは、女性解放の機運が高まっていた時代の象徴となりました。「女性でもチャンスさえ与えられれば、立派に自力でやれる」――女に機械は無理と言われてきたアメリア自身が、女性の地位向上のために熱心に活動。多くの女性達に勇気を与えました。
33歳の時、アメリアは友情を温めていたジョージ・パットナムと結婚。夫の支えのもと次々に飛行記録を塗り替えていきながら、1932年には女性初の大西洋単独横断飛行に成功。月や星、雲を道連れという「美の魅惑」に魅せられたアメリアは大空を自由に羽ばたいたのです。
「いつか落っこちるかもね」――危険を冒しながらアメリアの最大の目標は赤道上空の世界一周飛行でした。1937年6月1日、ナビゲーターのフレッド・ヌーナンと共にアメリアは東回り飛行に旅立ちます。成功目前の7月2日、南太平洋の最後の経由地に2人は到着しませんでした。
夫に宛てた最後の手紙です――「目の前にある太平洋を残して、全世界が私達の背後に過ぎ去った。この大海を飛ぶ危険も背後に過ぎ去ったらどんなに嬉しいことだろう」
1897~1937年。飛行士。アメリカのカンザス州生まれ。1927年に大西洋横断飛行に女性として初めて成功。以後、単独の大西洋横断飛行などを達成。アメリカの国民的ヒロインとなり、女性パイロットの団体を結成するなど女性の地位向上に取り組む。世界一周飛行の途中、1937年7月2日、太平洋上で消息を絶った。その生涯は様々な映画や舞台、楽曲になっている。