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時を創った美しきヒロイン

画家

シュザンヌ・ヴァラドン

Suzanne Valadon

私は自分の才能を見出し、自分を形成し、
そして表現すべきことを表現したと思う

 ルノワールの大作『ブージヴァルのダンス』シリーズの白いドレスの美女、ロートレックの『二日酔い』の物憂げな女性など、数々の名画のモデルとなったのはシュザンヌ・ヴァラドン。彼女は描かれるだけでなく、自らも絵筆を取ったのです。

 シュザンヌ・ヴァラドンは、本名マリー=クレマンティーヌ・ヴァラドンで、洗濯婦(当時、最下層の職業)の母親の私生児として1865年にフランス中部で誕生。パリの労働者階級が住むモンマルトルで育ちます。幼いマリーは“木炭のかけらを盗んでは舗道にいたずら描きをするガキ”と界隈では有名でした。叱られても無邪気に言い放ちます―― 「あたしはそのうち、熊の絵を描くからね。みんなの絵も。母さんの絵もだよ。見ててごらん!」

 やがてマリーは、14歳で憧れのサーカスの空中ブランコ乗りに。しかしある日、失敗し落下。怪我を負い、やむなくモデルに転向します。

 均整の取れた肉感的な身体、個性的な美貌のマリーはたちまち売れっ子に。巨匠シャヴァンヌから、ルノワール、ロートレックなどが競って彼女を描きます。そして絵心を秘めたマリーは、描かれながら画家たちの制作手法を盗み見ていくのです。

 その頃1883年12月、18歳でモーリスを出産。子育ては一切母親まかせで、絵の情熱にかられたマリーはモデルを続けながら、疲れた帰宅後、夜半まで母親や自画像を描いていくのです。 「私はどうしても画家に自分が絵に挑戦していると告白できなかった。すでに9歳のときから、手に入る紙はすべてクロッキー(写生)で埋めていたのに」――その才能を最初に見抜いたのは、彼女をシュザンヌと呼んだ画家ロートレックでした。以後、マリーはシュザンヌと名乗るようになります。さらにロートレックはドガにシュザンヌを紹介。

「ドガは私を親切に迎えてくれ、称賛を浴びせた」――ドガはシュザンヌのデッサンに感嘆。絵を手ほどき、サロンに出品するまでにしました。 「私は狂ったように描いた。たとえ眼がなくなっても、指先に眼があるように」――こうして本格的に画家の道に進んだシュザンヌは、国民美術協会初の女性会員になり、31歳で裕福な実業家と結婚。しかし、モーリスは生まれた時から多忙な母に顧みられることなく育ち、母の愛を求め続けた果てに10代でアルコール依存症となります。困り果てたシュザンヌは、酒から気をそらせようとモーリスに絵を描かせるのです。

 やがて、44歳のシュザンヌはモーリスの友人で21歳年下のアンドレと恋に落ち、贅沢な暮らしを与えてくれた夫と別れ再婚。シュザンヌは代表作『アダムとイヴ』『網を打つ人』にアンドレのヌードを描きました。女性画家が女性の裸を描くことさえご法度の時代です。

「私は自分の才能を見出し、自分を形成し、そして表現すべきことを表現したと思う」――自由で、力強い線、鮮やかな色彩の前衛的な独自の画風を切り拓いたシュザンヌ。一方、モーリスは、パリの街角を描き誰もが知る人気画家モーリス・ユトリロとなります――「あの子が私にくれたたった一つの幸せ。それは偉大な絵描きになってくれたこと」

 最底辺に生まれ、宿命に抗い奮闘の末に名声を得たシュザンヌが亡くなったのは72歳の時でした。

Profile

1865年~1938年。画家。フランス中部で貧しい洗濯婦の私生児で生まれ、パリで育つ。やがてモンマルトルの画家たちの人気モデルとなり、ルノワールなどの多くの作品に描かれた。同時に自ら絵を描き始める。ドガに才能を認められ師事し、女性で初めて国民美術協会への出展が認められる。前衛的な表現主義の画風で、男性ヌードを描いたのも女性初の画期的なことだった。18歳で産んだ父親不明の息子は、後の画家モーリス・ユトリロ。