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時を創った美しきヒロイン

時を創った美しきヒロイン

フランス皇后

ジョゼフィーヌ皇后

Josephine de Beauharnais

祖国のために離婚という献身を捧げます

 パリのルーブル美術館に、ダヴィッド作『ナポレオンの戴冠式』という巨大な歴史画が展示されています。描かれているのは、1804年12月、戴冠した皇帝ナポレオンが自ら妻のジョゼフィーヌに皇后冠を授けている場面。当時、国民に「勝利の女神」と讃えられ人気絶頂だったジョゼフィーヌは、実はバラの園芸界でも女神的存在で有名なのです。

 ジョゼフィーヌは、1763年にカリブ海のフランス領マルティニク島で、没落貴族の零細な農園主のもとに生まれました。いつかは遥か遠いパリで社交界デビューし、素敵な結婚をしたいと夢見る少女でした。

 16歳の時、念願かなってパリのアレクサンドル・ド・ボアルネ子爵と結婚。しかし、はるばるやって来たジョゼフィーヌを見た夫は、垢抜けず無教養な新妻に落胆。長男ウジェーヌ、長女オルタンスが生まれた後、別居を申し渡します。やがて1789年、フランス革命が勃発。動乱の中で、アレクサンドルはギロチン刑に。同じく死刑執行待ちだったジョゼフィーヌは解放されました。

 無一文になったジョゼフィーヌは、2人の子供を育てるため必死でした。その頃にはすっかり洗練された貴婦人となっていた彼女は、恋多き「陽気な未亡人」に変貌。社交界の華となり、数多の男達に貢がせます。

 ある時、王党派鎮圧の対策で、亡き夫の遺品であるサーベルが押収。父親を尊敬していた息子ウジェーヌは、ナポレオン将軍の元へ「父の形見を返してください」と直訴します。無事にサーベルは戻り、翌日、お礼にジョゼフィーヌが参じます。

 その彼女にナポレオンは一目で虜となり求婚! 無骨で貧相なナポレオンは、ジョゼフィーヌにとって恋愛の対象外でしたが、逡巡の末、生活の安定を考えてプロポーズを承諾します。ジョゼフィーヌ32歳、ナポレオン・ボナパルト26歳でした。

 結婚式の2日後、ナポレオンは最高司令官としてイタリア遠征へ。戦場からは毎日、熱烈なラブレターが届きます。一方のジョゼフィーヌは、その手紙の山を「変な人ね、ボナパルトって」と一笑に付し、夫の居ぬ間に若い愛人と甘い時を過ごします。

 やがて妻の不貞を知ったナポレオンは激怒! 「私を女神のように崇めてくださる、2人といない夫」に、涙ながらに許しを請うジョゼフィーヌ。この一件から、ジョゼフィーヌは夫への愛に目覚めていくのです。快活で社交術に長けた彼女は、無粋な夫を支えていきます。そして、欧州の大半を制圧したナポレオンの功績に、ジョゼフィーヌこそ勝利の女神と国民が熱狂したのです。

 そして、40歳でフランス皇后に登りつめました。しかし、皇帝ナポレオンは世継ぎを切望し、46歳になったジョゼフィーヌと離婚。彼女は「祖国のために離婚という献身を捧げます」と涙で宣言しました。

 離婚後、ジョゼフィーヌの悲しみを癒したのはバラの花々でした。自然豊かな植民地に育ち、元々植物が大好きだったジョゼフィーヌは、居城となったマルメゾン城に、世界各地からバラを取り寄せ人工交配。多くの新種を作り出し、後に「バラの母」と呼ばれるように――「マルメゾンがやがて植物栽培のよきお手本になってほしいと思います」。 革命の嵐の中で豪胆に、そして、まさにバラのように華麗に数奇な運命を生き抜いたのでした。

Profile

1763~1814年。ナポレオン一世の最初の妻。フランス領マルティニク島生まれ。16歳でボアルネ子爵と結婚。一男一女を産むが、事実上の離婚となり、フランス革命で夫が処刑。その後、ナポレオン・ボナパルトと再婚。フランス皇后になるが、子供ができないために離縁される。前夫との間の子供の子孫はヨーロッパの各王家につながっており、「ヨーロッパのお祖母さん」とも呼ばれている。