ウィンザー公爵夫人
ウォリス・シンプソン
Wallis Simpson
彼は私のために何もかも手放し、
私を勝ち取ってくれたのです
1936年12月11日、イギリスのラジオから英国王エドワード8世の王位放棄の声明が流れました。「愛する女性の支えが得られなければ、王としての重責を果たすことはできないとわかった今、私は自分に忠実に生きる決断をしました」――王位を継いでわずか11ヵ月のことで、愛する女性とはウォリス・シンプソン、なんと人妻でした。
ウォリス・シンプソンは、1896年にベッシー・ウォリス・ウォーフィールドとしてアメリカ、ボルチモアの名門の家柄に生まれました。明るく社交的で、ウィットに富んだ魅力的な女性に成長。20歳で海軍中尉と最初の結婚をします。
しかし、酒癖の悪さに耐えかね離婚。次に1928年、ロンドン在住のアメリカ人実業家アーネスト・シンプソンと再婚。物怖じしない性格ですぐに英国社交界の花形となります――「今がとっても幸せ」
1931年1月、皇太子エドワードの愛人ファーネス子爵夫人主催のパーティーにシンプソン夫妻が招待されます。その席でウォリスはエドワードと出会いました。独身でハンサムな皇太子の恋人は年上のミセスばかり。ウォリスは2歳年下でしたが、快活で成熟した女性。皇太子には理想のタイプで、2人は運命の恋に落ちていくのです。後にウォリスは回想――「彼は妻に母親のような愛を求めたのです。……彼は生涯で唯一理解し合える、私のような女に巡り合えて幸せだったのです」
1936年1月22日、皇太子は父王崩御によりエドワード8世に即位。即位式に付き添ったウォリスは身分の違いを実感します。「長い間ありがとう。楽しかったわ」と涙をこらえ立ち去るウォリス。式の途中で彼女を追いかけるエドワード。もう誰にも止められない恋でした。
同年10月27日にウォリスの離婚が成立。しかし、離婚歴のある女性と国王が結婚することは許されず、エドワードは王冠を棄てました。騒動を避け、カンヌに身を隠していたウォリスは喜びに泣き崩れます――「あなたの放送は飛び切り素晴らしいものでした」
しかし、ウィンザー公爵となったエドワードは放送直後に英国から追放。そして、「王冠を賭けた恋」と後世に語り継がれる世紀の大スキャンダルとなり、「美貌も財産も地位もない」「ヤンキーの売春婦」などとマスコミはウォリスを総攻撃します。
さらに再婚のために当時、6ヵ月の別離期間が必要でした――「愛の素晴らしさを証明するために、私たちは試練に耐えなければなりません」
ようやく1937年6月3日、ウォリス40歳の時にフランスで簡素な結婚式を挙げました。しかし、王室の怒りはすさまじくウォリスが公爵夫人と名乗ることは許されず、外に出ればカメラに狙われ、2人はパリで半ば幽閉のように暮らします。
ウォリスが公爵夫人として、初めて英国王室に招かれたのは結婚後30年の時を経てのことでした。やがて1972年にエドワードが亡くなると、その亡骸を英国は迎え入れます。棺に触れながらウォリスは発言――「彼は私のために何もかも手放し、私を勝ち取ってくれたのです」
「私の人生そのもの」だった夫亡き後、生ける屍となったウォリスが最愛の彼のもとへ旅立ったのは1986年のこと。王室の墓地に並んで埋葬され、永遠に一つとなったのです。
1896~1986年。ウィンザー公爵夫人。アメリカのボルチモア生まれ。青年実業家アーネスト・シンプソンと2度目の結婚でロンドンへ。英国社交界で皇太子エドワードと知り合い恋愛関係に。1936年1月、皇太子はエドワード8世として即位。ウォリスは離婚するが、2人の結婚は認められずエドワードが退位。「王冠を賭けた恋」として世界的ニュースとなる。1937年6月に結婚。長く王室に拒絶されていたが、エリザベス女王が赦した。