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時を創った美しきヒロイン

前衛芸術家、音楽家、平和運動活動家

オノ・ヨーコ

Ono Yoko

空の美しさにかなうアートなんてあるのだろうか。
私はただ私でありたい、
と思って暮らして来ただけだ

「ひとりでみる夢は、ただの夢。一緒にみる夢は現実となります」「あなたが望めば、戦争は終わる」 ――一貫して「愛と平和」を希い続けるオノ・ヨーコのメッセージです。

 オノ・ヨーコ(小野洋子)は、1933(昭和8)年に、東京で3人きょうだいの長女として誕生しました。父は銀行家、母は安田財閥の令嬢で、広壮なお屋敷で何人もの家庭教師とお手伝いさんにかしずかれて育ちます。でも、誰もがかしこまった態度――「人とのコミュニケーションに飢えていたのかもしれない」

 やがて、学習院大学哲学科を中退し、父の赴任先であるニューヨークに一家で移り住みます。そして、サラ・ローレンス大学で作曲と詩を学ぶ中、留学中の新進気鋭の音楽家一柳慧と出会い、駆け落ち婚を決行。
「貧乏暮らしであるが、芸術に打ち込む生活を始めた」――彼が前衛音楽を学んでいたことでヨーコも前衛芸術の道を歩み始めます。

 そして、当時はスラム街だったソーホーで格安でロフトを借りたヨーコは、そこを拠点に、一柳を通して知り合ったアーティストたちと共に最先端の前衛アートを発信。カーネギーホールでもパフォーマンスを行い、「新しい芸術の旗手」あるいは「カリスマ」と呼ばれるように。

 1962年夫婦で帰国し、ヨーコは日本でもパフォーマンスをしますが、「真っ暗な舞台で目に見えない気配のようなものが感じられる」などの作品が理解されずにマスコミから袋叩きに。人との交流を生むはずのパフォーマンス・アートでした。
「人間と人間とのコミュニケーションを復活させること、これが私が一番強く念願していること」という痛切な思いは打ち砕かれました。

 日本に失望したヨーコは、一柳と別れた後、再びニューヨークで活動を開始。大きな飛躍を遂げます。

 1966年11月9日、ロンドンの画廊で開催されていたヨーコの展覧会に、ふらりとビートルズのジョン・レノンが現れます。世紀の恋の始まりでした。アートや歌に才能がある2人はお互いに影響し合い、共にアルバムを作るなどします。そして、1969年に結婚したのです。

 でも、ヨーコは大スター・ジョンを奪った得体のしれない東洋人、さらに、ビートルズ解散では「ビートルズを解散させた女」とされ、世界中から非難されてしまいます。
「言い訳や弁明をしても偏見は変えられない」から「自分の気持ちに忠実に生きよう」と、ベトナム戦争が泥沼化していた時代、「愛と平和」運動をジョンと敢行。ベッドで愛と平和を語り合うという「平和のベッド・イン」はあまりにも有名です。

 そして、ヨーコの詩集『グレープフルーツ・ジュース』に何度も出てくる「想像しなさい」のフレーズに触発されたジョンがヨーコと作ったのが、平和な世界を想像しようと歌う不滅の名曲「イマジン」でした。

 やがて1980年、共作アルバム『ダブル・ファンタジー』を発表し大ヒットに。しかし、その翌月の12月8日、ジョンが凶弾に倒れます。
「あなたがいないと世界はからっぽ」と痛ましいばかりのヨーコでした。

「空の美しさにかなうアートなんてあるのだろうか。私はただ私でありたい、と思って暮らして来ただけだ」――作品も結婚も平和運動もジョンの死さえもバッシングされてきたヨーコ、それでも信念は揺らぎません。

Profile

1933年、東京生まれ。前衛芸術家、音楽家、平和運動活動家。アメリカのサラ・ローレンス大学で作曲と詩を学び、前衛芸術家の道へ。1969年にビートルズのジョン・レノンと結婚、1975年に長男ショーンを授かる。結婚後は音楽活動を中心に活躍。1980年11月、ジョンとの共作アルバム『ダブル・ファンタジー』を発表。翌12月、眼前でジョンを喪う。その後も音楽活動、前衛芸術、平和運動を精力的に展開。各地で展覧会を開催する。