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時を創った美しきヒロイン

女優

マタ・ハリ

Mata Hari

報酬を受け取って、結婚するの。
世界一幸せな女になるの

 マタ・ハリ――数々の映画や舞台、ミュージカル、小説、さらにはゲームのキャラクターにまでなっている20世紀最大の女スパイです。名前は広く知られていますが、その実像とはどんなものだったのでしょうか。

 マタ・ハリは、1876年にマルガレータ・ヘルトロイダ・ツェレとして、オランダ北部で誕生しました。父親は帽子店を営み、貴族気取りの生活ぶりでした。マルガレータも「父は男爵なの」と言いふらします。

 身長175㎝、褐色の肌と黒髪で、注目されることが大好きな美少女に成長したマルガレータの生活は、父親が投資に失敗し破産、母親が急死したことで一変。親戚を転々とし19歳のある日、新聞で花嫁募集広告を見つけます。20歳年上の植民地軍将校で、すぐに応募し2人は結婚。

 長男の誕生後にオランダ領インドネシアに赴任し、長女も誕生しますが、長男が病死。夫は暴力的で結婚は破綻します。娘を置いて28歳になったマルガレータが向かったのはパリでした――「夫から逃げた女性はみんなパリに行くものだと思って」

 パリでは金回りの良さそうな男性に近づいては貢がせます。そして、エキゾチックな容姿の自分を魅力的に見せる術を心得ていたマルガレータが自活のために挑んだのは、東インド諸島で見たダンスをもとにした自己流の踊りでした。宝石がきらめく髪飾りやブラジャーを付け、まとったベールを踊りながら脱いでいき、最後は美しい裸身に。

 当時、ヨーロッパは空前のオリエンタルブームに沸いており、たちまちマルガレータはスーパースターに。名前もマレー語で太陽の目を意味するマタ・ハリと変えます――「うまくダンスできたことなんて一度もないの。人気になれたのは、人前で裸を見せる最初の人間だったから」

 経歴もその都度変わります。「ジャワで生まれ熱帯雨林で育った」「祖母はジャワの貴族」「インドの巫女」などと謎めいた神秘性を演出。そして、本物のアーティストを目指し、バレエにも挑戦するのです。

 1914年37歳の時、ベルリンで舞台目前に第一次世界大戦が勃発。公演は中止で、オランダにやむなく帰国。そこで、ドイツのスパイに誘われ報酬を手にしますが、「お金が欲しかっただけ。パリへ戻れる」とスパイになる気はありませんでした。

 各国の高官や軍の幹部と親密な関係にあったマタ・ハリは情報収集に最適と思われ、フランスからもスパイに勧誘。「この戦争を私が動かします」と注目を集めたいマタ・ハリの気性が命取りになるとも知らずに二重スパイとなったのです。その時マタ・ハリは、年下のロシアのマスロフ大尉と真剣な恋に落ちていました――「報酬を受け取って、結婚するの。世界一幸せな女になるの」

 しかし、フランス軍はドイツ軍に大敗し、失策を追及されていました。スパイの腕前もなく、役立つ情報を得られないマタ・ハリはその責任を負わせるのに好都合でした。

 1917年2月13日の朝、突然逮捕されたマタ・ハリは、証拠不十分のまま裁判開始。マスロフ大尉との結婚資金のためにスパイになったのに、彼は「結婚の噂は迷惑」と否定。ドイツと通じたスパイ罪で、その年の10月15日、41歳で銃殺刑に。パリの処刑場では、縛られることと目隠しを拒否し、毅然としてスターのプライドを貫いたのでした。

Profile

1876~1917年。ダンサー、高級娼婦。オランダ北部レーワルデンで誕生。19歳で結婚、夫の赴任地オランダ領(当時)東インド諸島で暮らす。帰国後に離婚し、パリに出る。マタ・ハリと名乗り、オリエンタルムードのエキゾチックなダンスで一世を風靡した。ミラノスカラ座にも登場。一介のダンサーが出演するのは前代未聞のことだった。1917年2月、ドイツのスパイとして逮捕される。確たる証拠もなく、その年の10月15日に処刑された。故郷レーワルデンでは濡れ衣を着せられたヒロインとして銅像が立っている。