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時を創った美しきヒロイン

音楽家

マリア・フォン・トラップ

Maria von Trapp

我が家の壁を取り払い、
皆さんに来ていただいていると思って歌っています

 1965年3月、ミュージカル映画『サウンド・オブ・ミュージック』が公開され、瞬く間に世界中で大ヒットしました。オーストリアのザルツブルクに住むトラップ一家の物語で、主役のマリアを演じたジュリー・アンドリュースの美しい歌声に観客は聴き惚れました。実はこのマリア、実在の人物だったのです。

 マリアは、1905年にマリア・クチェラとしてオーストリアのウィーンで生まれました。幼くして両親を相次いで亡くしますが、天真爛漫で音楽が大好きな少女に育ちます。

 やがて、教員養成大学に学んでいる時、マリアは突然カトリックの信仰に目覚め、ザルツブルクの修道院の門を叩いたのです。しかし、お転婆なマリアに修道女は手を焼きます――「修道院では男の子から女の子になるまで1年、女の子から修練女になるまで1年かかりました」

 そんな21歳のある日、マリアに命じられたのは、オーストリア海軍の退役艦長ゲオルク・フォン・トラップ男爵家の家庭教師でした。そのザルツブルク郊外のトラップ家でマリアを出迎えたのは、素敵な紳士のゲオルクと、男の子2人、女の子5人の可愛い子供達。末っ子が1歳の時に母親を亡くした子供達は、皆素直でたちまちマリアと打ち解けます。

 そして、マリアのギター伴奏やゲオルクのバイオリンに合わせて歌うことが楽しみとなっていきます。やがて、ゲオルクがマリアに求婚したのです――「そんな華々しいことは、本の中だけかと思っていたのに」

 1927年11月26日、マリア22歳、ゲオルク47歳で結婚。女の子2人が生まれます。しかし、銀行が倒産。全財産を失った夫をマリアは励ましながら、下宿を始めます。さらに、著名な音楽家であるヴァスナー神父が一家の美しいコーラスに感激。本格的な歌の指導を始め、いつしかプロへの道を歩むことになるのです――「燃えるような熱心さで、私達は音楽の深い海に飛び込んでいった」

 そして、トラップ・ファミリー聖歌隊として、ヨーロッパで有名になっていきます――「私達の趣味が職業になった」。しかし1938年3月、ナチス・ドイツがオーストリアを併合。ヒトラーの誕生日にトラップ一家が歌うことが決まります。ゲオルクはその名誉を拒否したのです!

 一家はすぐに国境を越え、アメリカからの出演依頼を命綱に無一文で渡米。ヴァスナー神父も運命を共にします。マリアは新しい命を宿しての旅でした。新天地での生活に戸惑う間もなくコンサートツアーが始まります。チロルの民族衣装で歌いますが、聴衆の反応はイマイチでした。

 マリアは周囲のアドバイスを受け、まず名前をトラップ・ファミリー合唱団に改めます。宗教曲やクラシックだけでなく英語の楽しいフォークソングを加えます。メイクもしますが、まだ「何か」が足りません。

 ある日、舞台で歌っている最中、マリアの喉にハエが! 「私は今、ハエを飲み込んでしまいました」と咳込み平謝りするマリアに客席は盛り上がります。フレンドリーな雰囲気が大切と気づいた瞬間でした――「我が家の壁を取り払い、皆さんに来ていただいていると思って歌っています」

 こうしてマリア達は大人気に。「共に歌い、共に遊び、共に祈る家族は、いつも一緒」の信念で、苦難の道のりを強く明るく率いたマリアが亡くなったのは82歳の時でした。

Profile

1905~1987年。音楽家。オーストリア生まれ。22歳でゲオルク・フォン・トラップと結婚。7人の子供達とトラップ・ファミリー聖歌隊を結成し、評判となる。ナチスに併合された祖国を逃れアメリカへ。トラップ・ファミリー合唱団として大成功。世界各地でコンサートを行う。その合間にバーモント州の農場で自給自足の生活をした。マリアの自叙伝が舞台化、映画化されたが、やさしい夫が厳格な人物に描かれ抗議した。