小説家
フランソワーズ・サガン
Francoise Sagan
文学こそすべてなのです。最も偉大な、最も非道な、運命的なもの。
1954年3月、フランスで『悲しみよ こんにちは』が出版されました。南仏の別荘を舞台に青春の残酷さを描いた衝撃的な作品の作者は、わずか18歳のフランソワーズ・サガン。後のノーベル賞作家モーリヤックは「過剰なまでの才能を持った少女が書いた作品」と称賛。空前の大ベストセラーとなり、25か国語以上で翻訳されました。世界中にサガンブームが巻き起こったのです。
1935年、サガンは裕福なブルジョア家庭に生まれました。両親に溺愛されて育ったサガンは、やがて読書にのめり込むようになります。ジッド、カミュ、サルトル、プルースト…。15歳でランボーに出会った瞬間には――「文学こそすべてなのです。最も偉大な、最も非道な、運命的なものなのです」
文学を運命と心に決めた早熟な少女は、18歳の夏に『悲しみよ こんにちは』を書き上げます。それを読んだ文学仲間の親友は、「完璧。あなた、作家なんだわ」。こうして、作家サガンが誕生しました。
サガンのライフスタイルもニュースとなり、世界中を駆け巡ります。スポーティーなファッション、高価なスポーツカー、ナイトクラブでの夜遊び、サントロペの別荘でのヴァカンス…。それらが伝説となり、社会現象となっていきます。
しかし、彼女は名声に溺れることなく、その騒ぎを冷徹に見つめる目を持ち合わせていました。そして、「何ものにもまして愛する」文学に向かってひた走るのです。
「書きたい、言葉を使いたい。……私は言葉が好きなのです」
処女作から2年後、本人曰く「みんなが機関銃をもって待ち受けている」状況の中で、『ある微笑』を発表。批評家たちは絶賛。「1作目は別人が書いた」「まぐれ」という誹謗中傷を見事にはねのけました。
1957年4月13日、愛車アストン・マーチンで疾走中、猛スピードが大事故を招きます。新聞には「サガン即死」と出るほど瀕死の重傷に! 生死をさまよった末、サガンは一命を取り留めます。
「限界を超える悦びがあるから、人生は楽しいの」「叶わぬ恋で苦しんでいても、時速200キロで走れば、その苦しみが和らぐ」。事故後もスピードへの陶酔感を語る一方、「車の事故以来、人間は孤独だという確信をもちました」と言及。サガンの作品のテーマである「愛」と「孤独」への思いを一層深めていきます。
また、治療のために大量の麻薬が投与されたことから、サガンは生涯、薬物依存症で苦しむことになります。
二度の結婚と離婚、ギャンブル癖、アルコール依存症…。さらに、莫大な印税を手にしたにもかかわらず、陥った経済的破綻。お金の苦労を知らずに育ったサガンには、金銭感覚がありませんでした。周りの人々への散財や、巨額詐欺事件に巻き込まれ無一文となったのです。
多くのスキャンダルと、遊惰な私生活のイメージを振りまきながらも、一番愛した時間は、部屋にこもって読書にふけること。そして、書くことへの情熱を燃やし続けます――「ただ楽しいから書いているの」哲学者サルトルと友情を結ぶほどの卓越した知性と、繊細な感性から紡ぎ出された数々の作品は、今も世界中の読者を魅了し続けています。
1935~2004年。フランス生まれの小説家。本名フランソワーズ・クワレーズ。18歳で発表した『悲しみよこんにちは』が批評家賞を受賞。一躍文壇のスターとなり、ジーン・セバーグ主演の同名映画も大ヒットした。『ある微笑』『ブラームスはお好き』『心の青あざ』など代表作多数で、生涯世界的なベストセラー作家であり続けた。戯曲も多数。