作家・翻訳家・編集者
石井 桃子
Momoko Ishii
あなたを支えてくれるのは、
子ども時代のあなたです
「いしいももこの名前のついた本はおもしろい」と、日本中の子供たちの人気を集めたのは、作家で翻訳家、編集者の石井桃子です。『クマのプーさん』や『ピーターラビットのおはなし』『うさこちゃん』シリーズなど数多く翻訳して日本に紹介し、創作もし、中には親子4代で読み継がれている本もあるのです。
石井桃子は、1907(明治40)年、埼玉県の浦和で誕生しました。生家は金物店を祖父が営む旧家で、元教師の父親は銀行勤め。兄1人姉4人の末っ子として育ちます。小学校に上がると学級文庫に夢中になります――「本棚をさがすときの、宝の山に分け入ったような楽しさ」
やがて、姉たちの不幸な結婚を見た桃子は「自分の力で生きていく道を見つけたい」と、父に願い出て17歳で現日本女子大学の英文科に入学。夏休みにはアメリカ人家庭のハウスキーパーをして英語力を磨きます。
さらに、文藝春秋社の菊池寛のもとで、海外本のあらすじをまとめるアルバイトをし、卒業後、文藝春秋社に入社。婦人誌の編集者として力をつけていきます。22歳の時には犬養毅首相の書庫整理をたのまれ、犬養家と親しくなります。やがて、病を得て1933年に26歳で退社。
その年のクリスマスイブに、犬養家から招待が。そこで見たのは、英国土産の「プーさん」の原書でした。子供たちは桃子に読み聞かせをせがみます。「ある日、プーは――」と訳しながら読み始めると、皆、大興奮。「不可思議な世界にはいりこんでいった。あたたかいもやをかきわけるような、やわらかいとばりをおしひらくような気持ちであった」――この感動に導かれ、生涯の仕事となる児童書の世界に歩み出すのです。
翌年、誘われて新潮社で関わったのは子供向け本のシリーズ。こうして桃子は児童文学の編集、翻訳で才能を発揮していきます。そして33歳の時、名訳『熊のプーさん』を世に出し翻訳家デビューを果たしました。
しかし、時代は戦争へひた走ります――「空を仰いで酸素不足の金魚のようにあっぷあっぷしていた」。そして、兵役につき欝々としていた年下の友だちを慰めようと、桃子は8歳の女の子を主人公にした『ノンちゃん雲に乗る』を書き始めます。そして、少しずつ原稿を友人の手に。夜中に兵舎でこっそり読んだ彼は、別の友だちにも回し、原稿は若者たちに読まれていきました。彼らは「読んでいる時だけ人間でいられる」と喜ぶのでした。
そんな中、秋田から勤労奉仕で上京していた女学校教師・狩野ときわと意気投合。言論統制の世の中に見切りをつけ、2人して宮城県で開墾生活に入ったのです。終戦後も農場生活は続きます。その頃、原稿を預けていた編集者が奔走し、『ノンちゃん雲に乗る』を出版。それが大評判となりました。
人々が良書に飢えていた当時、岩波書店から桃子の児童書編集の手腕が求められます。こうして、再び子供たちの「喜びのおとずれ」のために出版界に復帰。「子どもの本は、目に見えるように書かなければなりません」――この揺るぎない信念で不朽の名作を次々に送り出します。「あなたを支えてくれるのは、子ども時代のあなたです」という思いで、読書の喜びを子供たちに伝え続けた桃子が生涯を全うしたのは101歳の時でした。
1907~2008年。作家・翻訳家・編集者。埼玉県浦和町(現在のさいたま市浦和区)生まれ。文藝春秋社を経て、新潮社で児童書に携わる。33歳で『熊のプーさん』刊行。戦後、『ノンちゃん雲に乗る』がベストセラーに。「岩波少年文庫」「岩波の子どもの本」を創刊。生涯、児童文学の第一人者として多数の翻訳本、創作本を刊行。87歳で自伝的小説『幻の朱い実』を、96歳でミルン自伝『今からでは遅すぎる』を発表。