作家
ジョルジュ・サンド
George Sand
私にできるのは愛すること、そして理想を信じることだけ
1832年5月、『アンディアナ』という小説がフランスで出版されました。ヒロインが不幸な結婚生活を逃れ、真実の愛を求める物語です。
夫が妻を隷属化するのは当然の権利だった当時の社会に、大きな反響を巻き起こしました。作者はジョルジュ(英語名ジョージ)・サンドという男性。それが、27歳の男爵夫人のペンネームと判明したのです。
ジョルジュ・サンドは本名アマンティーヌ=オーロール=リュシル・デュパンで、ナポレオンが皇帝に即位した1804年にパリで生まれました。父親は王家にもつながる貴族階級の軍人で、上官の情婦だった年上の女性に一目惚れして結婚。間もなく生まれたのがオーロールでした。
当然ながら、父方の祖母は素性の知れない嫁を拒絶しますが、オーロールが4歳の時に父が急死。そうして、オーロールは名門の跡取りとして、中部フランスにある祖母のノアンの館に引き取られます。でも、母は姑との激しい対立から娘を残してパリへ去ってしまいます。傷ついた少女の心を癒したのは、美しい田園の自然と祖母の豊富な蔵書でした。
やがて、祖母が亡くなり莫大な財産を相続したオーロールは、18歳で9歳年上の男爵家のカジミールと結婚。二児に恵まれますが、性格の不一致から諍いが絶えません。そんなある日、「死後開封」と書かれた夫の遺書を読んでしまったオーロールは愕然とします。そこには、妻への呪詛の言葉が満ちていたのです。
「直ちに決心がつきました。……自分のために生きてみたいのです」―――オーロールは27歳でパリに旅立ちます。倹約のために、豪華なドレスを脱ぎ捨て男装します。男物のブーツを履けば悪天候でも街を歩き回ることができ、ズボンを穿けば女人禁制の場へも出入りできます。因習から解き放たれた思いでした。次に、自活のために、少女時代から大好きだった文学の道に挑みます。
そして、女性の解放を願って書いた『アンディアナ』で衝撃的な文壇デビューを果たしたのです。ペンネームのジョルジュ・サンドには、性別を超越したいという思いを込めました。次々に発表した作品も、深い人間洞察に基づくすぐれた描写で、たちまち有名作家となります――「芸術家の日々、万歳! われらが信条は〝自由なり!〟です」
やがて、裁判で夫との別居が成立。そして、絵画や音楽に造詣が深く、才気溢れるジョルジュに、多くの芸術家が虜となります。詩人ミュッセやハイネ、音楽家リスト、画家ドラクロワ、作家バルザック…。華麗な恋愛遍歴の中でも有名なのが作曲家ショパンとの熱愛です。
6歳年下で繊細で病弱なショパンに、献身的な愛をそそぎます。地中海マジョルカ島、パリ、そしてノアンの館と移り住み、ショパンはジョルジュと暮らした8年間で数々の名曲を生み出しました。
「小説という芸術的手段を使って……、人々の心を揺り動かし、震わせ、感動を呼び起こそうと努めているのです」――生涯、ジョルジュは100篇以上の作品を著しました。民主的な世の中を願った思想的な作品から、詩情豊かな田園小説、孫たちへの児童文学…。72歳で亡くなったジョルジュの晩年の言葉です。
「私にできるのは愛すること、そして理想を信じることだけです」
1804~1876年。作家。パリで貴族軍人の父と庶民の母の間に生まれる。父が死去後、父方の祖母の館で育ち、ピアノを弾き絵も描き幅広い教養を身につける。18歳で結婚、一男一女をもうけるが間もなく別居。男装の作家として成功し、多くの作家や芸術家と交流する。民主化や女性解放運動にも活躍、19世紀最大の女流作家となる。代表作『愛の妖精』『レリア』など。