女優・歌手・脚本家・映画監督
ジャンヌ・モロー
Jeanne Moreau
人生はおもしろい地形の連続、人は自分でその地形を描くのよ
1958年、パリで25歳の新人映画監督ルイ・マルの『死刑台のエレベーター』が公開されました。主役は30歳のジャンヌ・モロー。大きな目、への字形の口、低い声…。グラマーでもなく美人女優とは言えないジャンヌが夫殺しを企む人妻役をミステリアスに演じ、観客を釘付けに。ヌーヴェルヴァーグ(新しい波・映画革新運動)の記念碑的作品となり、国際的な名声を得たのです。
ジャンヌは、1928年にパリで誕生しました。父親はビストロの経営者で、母親はイギリス人の元ダンサー。母親の影響で英語も完璧に身に付けます。戦争や両親の不仲など暗闇のような少女時代、ジャンヌは「違う世界に逃げ出したい」と思うように…。その思いで本をむさぼり読み、孤独な世界に浸ります。
15歳のある日、友人に誘われて初めて芝居を観た日――「私は暗い客席にいるべきじゃない。舞台に立ちたい」。学校をさぼって劇場通いをし、ついに両親に女優志望を告白。父親から平手打ちが飛んできます。でも、母親の理解で国立演劇学校に合格。19歳で初舞台を踏みます。
そして、舞台女優として成功を収めたのです。“不美人”と言われ続けコンプレックスを抱えていたジャンヌが舞台ではスターとして輝きます。また、母親の離婚資金のため映画にも進出。多くの映画に出演しますが、話題にはなりませんでした。
そんなジャンヌの舞台を観たルイ・マルが、彼女の個性と演技力の虜に。彼は恐る恐るジャンヌに出演を依頼。そうして完成した『死刑台のエレベーター』で、ジャンヌは映画界でもスターとして花開いたのです。続いてルイの『恋人たち』、フランソワ・トリュフォーの『突然炎のごとく』などで“ヌーヴェルヴァーグの女王”と称賛されました。
そして、『雨のしのび逢い』『エヴァの匂い』『小間使いの日記』『マドモアゼル』など話題作での男を滅ぼす役柄から「永遠のファムファタル(運命の女)」とも呼ばれました。時にはヌードシーンで物議をかもしたことも――「なぜみんなが騒ぐのかよくわからない……ただ身体を見せるより心の奥の感情を表現するほうがずっと大切よ」
21歳の時には役者仲間のジャン=ルイ・リシャールと結婚。一人息子ジェロームが生まれますが、間もなく別居――「情熱というものは必ず冷めるものよ」。そして、多くの監督、共演した俳優などとの華麗な恋愛遍歴を重ねます――「大恋愛は一度ではなく幾度となくするもの」
1970年代には、脚本・監督業に挑戦――「私のように偉大な監督たちと仕事をしてくれば、自分の脚本で監督したいと思うようになるのは自然なこと」。そして、『リュミエール』『ジャンヌ・モローの思春期』という印象的な作品を創りました。
次第に脇役に回るようになっても、ジャンヌは徹底したプロ意識の持ち主でした。どんな映画でも全力を尽くします――「人生はおもしろい地形の連続、人は自分でその地形を描くのよ」。また、若手の映画人には惜しみなく資金を融通します。
「私はただひとつのメロディー、ひとつの詩篇、〈芸術〉の中の一存在でありたかったの」――圧倒的な存在感と、堂々と自分の意見を述べる自由な生き方で人々を惹きつけ、生涯現役に徹したジャンヌが亡くなったのは、2017年7月31日でした。
1928~2017年。女優、歌手、脚本家、映画監督。パリ生まれ。パリ国立演劇学校に学び舞台女優として活躍。30歳で出演した映画『死刑台のエレベーター』で国際的な名声を得る。多くの名監督のミューズとなって活躍した。シャンソン歌手としても成功し、監督業や巧みな英語でハリウッド映画にも出演。映画祭の審査員や映画人育成などで映画産業の発展にも貢献した。