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時を創った美しきヒロイン

彫刻家・インスタレーションアーティスト・画家・版画家

ルイーズ・ブルジョワ

Louise Bourgeois

蜘蛛は巣を壊されても怒らない。
もう一度糸を吐き直すだけ

 東京、六本木ヒルズに高さ10mもある巨大な蜘蛛の彫刻があります。脚の間から見上げれば卵を抱えており、タイトルは「ママン」。フランス語でお母さんを意味し、作者はルイーズ・ブルジョワ。蜘蛛には、母への深い愛が込められていました。

 ルイーズ・ブルジョワは、1911年にパリで誕生しました。父親はアンティーク・タペストリーのギャラリーと修復工房を営み、跡取り息子を待ち望んでいました。でも、長女に続きルイーズもまた女の子でがっかり。後に弟が生まれても、支配的な父親から「女なんて役立たず」と罵られて育ちます。父親が母親に声を荒らげる度、ルイーズはテーブルの下で息をひそめます。夫婦の寝室に若い愛人を堂々と入れた時には、言いようのない苦痛に襲われます。

 そんなルイーズが心慰められるのは、工場で母親の仕事を見ている時。すり切れた織物を色んな糸の針を動かし見事に美しく蘇らせます。それはまるで「蜘蛛が少しずつ巣を張っていくのに似ています」。

 織物 、仕事を黙々とこなす母親は「賢くて、我慢強く、物柔らかで、かけがえが無くて…、まるで蜘蛛のように働き者でした」。

 やがて、名門ソルボンヌ大学で数学を学びます。この時ばかりは、父親は娘の賢さを認めました。しかし、唯一無二の存在だった母親が急死。打ちひしがれたルイーズは死ぬことさえ考えます。そして、数学に見切りをつけ心の隙間を埋めるように美術に転向、アートを探究したのです。

 そして1938年、アメリカ人美術史家ロバート・ゴールドウォーターと結婚。屈辱に満ちた実家と決別、ニューヨークに渡り、男の子3人を育てながら創作活動に励みます。

 絵画、ドローイング、版画、抽象造形物、彫刻など、様々な手法と素材で制作を続けます。例えば、少女時代に着た服やシーツ、夫のハンカチ…、様々な思い出の布を切り刻み縫い合わせていきます。まるで過去を繕うかのように。色とりどりの蜘蛛の巣のような渦巻も縫います。はっきりと形の分からない肉体のような造形物も創ります。それらは「少女時代に受けた心の傷を癒すためのもの」とルイーズは言います。

 しかし、芸術では食べていくことが出来ず、織物制作や、アートスクールで教鞭を執るのです。

 ようやく広く知られたのは、1982年71歳の時。ニューヨーク近代美術館で女性彫刻家初の大規模回顧展が開催されました。これで国際的な評価と名声を得たのです。

 それからも創作意欲は衰えることなく、元衣料品工場という広々としたアトリエで作品を生み出していきます。80歳を過ぎて発表したのは、生家の邸宅を模した大理石の彫刻を大きな金網に閉じ込めたもの。正面には恐ろし気なギロチンの刃が――「これは、過去と現在が断ち切られていることを表している」。

 そして、大きな蜘蛛を制作。「蜘蛛は巣を壊されても怒らない。もう一度糸を吐き直すだけ」――彼女にとって蜘蛛は、年を重ねてもなお甘えてみたい母の象徴だったのです。

「子ども時代の魔法は、私の中から決して消えはしなかった。その神秘も、悲劇も、消えることはなかった」――98歳で亡くなるまで、悪夢のような記憶も、幸せな記憶も、すべてを形にし続けた生涯でした。

Profile

1911~2010年。彫刻家・インスタレーションアーティスト・画家・版画家。パリ生まれ。アンティーク・タペストリーの修復工房を営む裕福な家に生まれる。子どもの頃から絵や修復図を描き、母の手伝いをする。27歳でアメリカ人美術史家と結婚しニューヨークに移住。幼少期からの体験をテーマに、様々な手法で作品を制作。1982年にニューヨーク近代美術館で回顧展を開催、世界的に有名となる。代表作「ママン」は世界7ヵ国で展示。