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時を創った美しきヒロイン

モデル

ジェイン・モリス

Jane Morris

私は夫を一度も愛したことは
ありませんでした

 19世紀のイギリス、ヴィクトリア朝時代に、ラファエル前派という芸術運動が起きました。神話や伝説を題材に、自然主義で描くことを理想としたものでした。その中心人物で画家のダンテ・ガブリエル・ロセッティ作の『プロセルピナ』は名作で、波打つ豊かな黒髪、エキゾチックな顔立ちに神秘的な眼差しの女性像が観る人を惹きつけます。モデルはジェイン・モリス、人妻でした。

 1839年、ジェインはオクスフォードでジェイン・バーデンとして労働者階級の貧しい家庭に生まれました。後に、「子供時代は幸せではなかった」ともらしています。

 10代になり召使奉公に出ていたジェインは、1857年10月に下層階級の娯楽である芝居見物に。その芝居小屋にロセッティが仲間を連れてモデル探しに現れたのです。ロセッティは、背が高く個性的な容姿のジェインを発見、声を掛けます。

 こうしてモデルとなったジェインは、すぐにロセッティのみならず仲間たちのミューズとなるのです。ロセッティは優しく才知があり魅力的な紳士。ジェインは彼に恋心を抱きます。ロセッティもジェインに恋しますが、婚約者があり自制します。

 そのアトリエにやってきたのが、良家の青年ウィリアム・モリスです。彼もまたジェインに恋し、求婚したのです。モリスは魅力に欠けジェインにとっておよそ恋愛の対象外でしたが、裕福な中産階級の妻になれる願ってもない玉の輿でした。

 間もなく婚約期間の1年間でジェインはレディになるべく特訓を開始。英国では階級でアクセントが違うためにまず正しい話し方から、礼儀作法などを身につけ、後には、フランス語やイタリア語をあやつり、ピアノを弾き、文学にも造詣を深めます。「目に触れたものはすべて読んだ」というほど知的好奇心が豊かでした。

 そして1859年に結婚。2人の娘に恵まれます。モリスは、工芸デザイナー、詩人、社会思想家として活躍し、生活と芸術を一致させようというアーツ&クラフツ運動を展開。モリスがデザインしたタペストリーやベッド装飾などの刺繍をジェインが手がけます。中世の技術を再現した骨の折れる仕事でした――「古い作品を研究し、縫い目をほどくなどして、多くの事柄を学んだ」

 1865年、妻を亡くしたロセッティは忘れ得ぬジェインに再びモデルを依頼。当然、2人の愛の炎が燃え上がります。家庭を壊す気のないモリスは黙認。そして、ロセッティは17年後に亡くなるまで傑作を生み出していきます。その代表作『プロセルピナ』は、春の女神プロセルピナが冥界の王プルートーに拉致される神話。彼は、ジェインがモリスにさらわれ家庭に閉じ込められたという一方的な思いを重ねたのです。

 しかしジェインは、自分で人生を選んだのです。晩年に「私は夫を一度も愛したことはありませんでした」と告白。でも、後悔はありませんでした――「もう一度同じ状況になったとしても同じ選択をまたするでしょう」。そして、才覚で階級差をのり越え、刺繡作家として名声を得、家庭雑誌の編集や私家本の制作と装丁などで自己表現を成しました。

 自伝の依頼には「何も特別な仕事などしていないのに、どうして私についての記録が必要なのでしょうか」と一蹴。記録されずともその姿は永遠に画布に留められているのです。

Profile

1839~1914年。ラファエル前派のモデル。貧しい階級に生まれたが、17歳で画家ロセッティにモデルとして見初められ、仲間のウィリアム・モリスと結婚。中産階級の洗練された淑女に変身し、モリスのアーツ&クラフツ運動を刺繍で支える。結婚後にロセッティと恋愛関係となり生涯ミューズに。次女メイの恋人で劇作家バーナード・ショーは、ジェインをもとに戯曲『ピグマリオン』を執筆、映画『マイ・フェア・レディ』の原作となる。