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時を創った美しきヒロイン

時を創った美しきヒロイン

女優

マリリン・モンロー

Marilyn Monroe

男にもお金にも興味はないの。ただ素晴らしい女優になりたいの。

 1962年8月5日、ハリウッドの人気女優マリリン・モンローが自宅のベッドで謎の死を遂げます。わずか36歳でした。「セックス・シンボル」と言われ、数々のスキャンダルにまみれていたマリリン。しかし、作家のノーマン・メイラーは「アメリカでいちばん美しい人」と称賛。没後、年数を重ねるにつれ、アメリカの女神と崇められていったのです。

 1926年6月1日、マリリンはロサンゼルスで私生児として生まれました。本名はノーマ・ジーン・モーテンセン。母親と、さらに祖母も精神病院に入退院を繰り返していたため、マリリンは孤児院や里親のもとを転々として育ちます。逆境の中でマリリンが夢見たものは、誰かに必要とされること――「大勢の人に私の名前を呼ばせたい」

 16歳の時、マリリンは近所に住む青年と最初の結婚をします。夫が徴兵されて留守中、軍需工場で働くマリリンを、陸軍報道部のカメラマンが見出したのです。その写真が評判となり、マリリンはモデルの道を歩き始めます。そして夫と離婚――「そのとき私ははっきり知ったの。女優になりたいと」

 ブルネットの髪の毛を金髪に染め、芸名はマリリン・モンロー。歌やダンスのレッスンに打ち込み、体型維持のランニングも欠かしません。ひたむきに努力を重ねますが、チャンスには恵まれず、時にはヌードモデルまでして飢えをしのぎます。

 やがて数本の映画に端役で出始めた頃、「あのブロンドは誰?」と注目されるように。甘くとろけるような美貌とボディが男性を虜にし、端役なのにファンレターが殺到します。そんな矢先、無名時代に撮ったヌード写真が明るみとなり大スキャンダルに。しかし、彼女は「お金が必要だったから」

 と告白します。

 「私、嘘はつきたくなかったの。何も悪いことはしていないもの」――この正直さに人々は感動。さらに、生い立ちまで暴かれ、女性の同情まで集めて人気がブレイクしたのです。

 そして、『ナイアガラ』『紳士は金髪がお好き』などでスターへ上りつめますが、役柄からついて回ったのは「おばかな金髪娘」というレッテル。そんな評判にもめげずにマリリンは、常にセクシーな歩き方やぴったりとしたドレスでファンサービスをします――「私のファンは思いっきり魅力的な私が見たいのよ。みんなをがっかりさせたくないの」

 官能的な魅力を振りまく一方で、マリリンは心に深い劣等感を抱えていました。出自のこと、学歴のなさ、演技派女優と認められないこと…。そのため、必死に本を読み漁り、大学の夜間クラスを受講。さらに、ニューヨークにある有名なアクターズ・スタジオで演技の勉強をします――「男にもお金にも興味はないの。ただ素晴らしい女優になりたいの」

 私生活では、元大リーガーのジョー・ディマジオと結婚して7ヵ月で離婚。次に劇作家アーサー・ミラーと結婚、4年で破綻します。この頃から睡眠薬の量が増え、ケネディ大統領との情事で闇の世界に引き込まれていったと言われています。

 運命に抗い、絶えず向上しようと真摯に生きたマリリン。偏見の中で育ったことから、差別や争いに心を痛め、女神と呼ばれるに等しい言葉を遺しています――「寛容さはこの世でいちばん大切なことの一つ」

Profile

1926~1962年。女優。アメリカのロサンゼルス生まれ。1950年『イヴの総て』の脇役で注目され、『紳士は金髪がお好き』『7年目の浮気』などのヒット作に次々と出演。セックス・シンボルとして人気に。元野球選手ジョー・ディマジオや劇作家アーサー・ミラーと結婚・離婚を繰り返す。1962年8月5日、自宅で死体で発見され自殺とされるが、その真相は不明のままである。