女優・発明家
ヘディ・ラマー
Hedy Lamar
誰だってグラマラスな女になれるのよ。
バカなふりして突っ立てればいいのよ
携帯電話やWi-Fi、GPS、ブルートゥースは、世界中で使われている便利なシステムで現代人に欠かせないものですが、その基礎技術を発明したのは、ハリウッドきっての美人女優と謳われたヘディ・ラマーでした。
ヘディは、1914年オーストリア・ウイーンで、ユダヤ人銀行家の父親のもとに生まれました。芸術の都・ウイーンの華やかな息吹の中で育ったヘディは、やがて16歳で映画界入りします。
端役を経て、18歳でチェコ映画『春の調べ』で主役に。全裸で泳ぐ場面やセクシーな場面に、「私、やってみます」と果敢に挑戦。映画史上初のヌード、初の性的シーンで世界中にセンセーションを巻き起こし、相次いで上映禁止となりました。
そして19歳で、兵器製造業の大富豪と結婚。嫉妬深い夫は、住まいである城にヘディを半ば幽閉します。さらに、妻の裸体を誰にも見せまいと、『春の調べ』のフィルムを買い占めようとまでします。「黄金でできた牢獄」のような結婚生活でした。
そんな中でも、ヘディの興味を引いたのは夫の商談の場でした。夫はビジネス相手を招いてはパーティを開き、様々な軍事技術を話題にします。時にはムッソリーニやヒトラーもお客に。ホステス役のヘディは、傍で彼らの話を聴きながら、科学的分野の知識を身に付けるのです。
しかし、ナチスの台頭と夫の束縛に身の危険を感じたヘディは、パリへ逃れます。そこで、ハリウッドの大物プロデューサーと出会い、ハリウッドに渡ったヘディに付けられた売り出し文句が、「世界でいちばん美しい女性」でした。彼女曰く「私がもし不幸ならば、それは私の美貌ゆえ」。
有名俳優と次々に共演した彼女の魅力は豊かな黒髪。ブロンドがスターの代名詞だった時代に、黒髪が受けたことで黒く染める女優が次々に出現。1949年の『サムソンとデリラ』は、この年の最高興行収入を記録しました。そんな彼女の趣味は、発明。信号機や炭酸水を作る錠剤、ティッシュの箱などを思いつきます。
やがて、第二次世界大戦が激化し、ナチスのUボートと呼ばれる潜水艦が度々民間船を攻撃。しかしアメリカ海軍は、無線誘導の魚雷が通信妨害に遭い反撃に失敗していました。アメリカに帰化していたヘディは「愛するわがアメリカの役に立ちたい」と、友人である作曲家のジョージ・アンタイルと力を合わせてこの難問に取り組み始めます。
ある日、研究に疲れた2人はピアノ連弾で息抜きをします。転調を繰り返しながら即興で弾いているうちに、「無線の周波数も頻繁に変えれば電波妨害されないはず」とひらめきが。かつての夫のもとで培った応用科学の素養が活きたのです。
1942年、2人は周波数ホッピング・スペクトラム拡散(FHSS)を開発。特許を取りますが、軍は相手にしませんでした。それでもめげずに、自分の名声を利用して何百万ドルもの戦争債券を集め貢献します。
FHSSの有能さに軍が気づいたのは、戦後1960年代の事。90年代には携帯電話に応用されるようになりました。「誰だってグラマラスな女になれるのよ。バカなふりして突っ立てればいいのよ」と、女優業に不満だったヘディは1997年、電子フロンティア財団から偉大な発明者として表彰されます。これこそ待ち望んだ栄誉だったのでしょう。
1914~2000年。女優・発明家。オーストリアのウイーン生まれ。10代で映画界入り。19歳で結婚し、女優を引退。1938年、「世界でいちばん美しい女性」と銘打ってハリウッドで再デビュー、MGMの看板女優となる。発明が趣味で、ナチスの攻撃に苦しむアメリカ海軍を助けようと、周波数ホッピング・スペクトラムを発明。この技術は、戦後に軍が採用、1990年代には携帯電話に応用される。没後、2014年に全米発明家殿堂入り。