オーストリアの作曲家グスタフ・マーラーの妻
アルマ・マーラー
Alma Mahler
愛が最上のインスピレーションを与えます
19世紀から20世紀の変わり目、ハプスブルク王朝が最後の栄華を極めていたウィーンで、アルマ・シンドラーという美少女が注目を集めていました。アルマは、文学・哲学・絵画・音楽・作曲などの才能をきらめかせ、芸術家たちを眩惑していたのです。画家クリムトも彼女の虜になった一人です。そのアルマを最終的に射止めたのは、19歳も年の離れた、作曲家でありウィーン宮廷歌劇場の監督グスタフ・マーラーでした。
アルマは、1879年にウィーンで、風景画家の娘として誕生しました。芸術家が集う家庭に育ったアルマは、〝芸術こそ最高の価値あるもの〟という価値観を身につけます。特に傾倒したのは音楽でした――「音楽の中に幸せを見出すことは運命によって決められていたのです」
そんなアルマがマーラーと出会ったのです――「彼だけが私の人生に意味を与えることができる」。1902年3月に二人は結婚、アルマ23歳、マーラー42歳でした。そのマーラーはアルマにこう言い渡します。「作曲は僕の仕事。君の仕事は私を幸福にすることです!」
「これでは家政婦でしかない」「ピアノを弾きたくて死にそう」――大好きな作曲を禁じられた上、気難しい天才マーラーとの生活は気詰まりなことばかり。さらに、長女の病死、流産などが重なり、アルマはふさぎ込んでいきます。療養に出かけた先で、アルマは4歳年下の建築家グロピウス(後に造形学校バウハウスを設立。近代建築の父と呼ばれる)と出会い、安らぎを得るように…。
マーラーは、アルマの愛を取り戻そうと、妻の楽曲を発表し、妻に捧げる大がかりな演奏会を開きます。しかし、虚弱体質だったマーラーは、51歳で命が尽きてしまったのです。
31歳で〝最も有名な未亡人〟となったアルマ。美しく孤独なアルマが電撃的な恋に落ちたのは、25歳の画家ココシュカでした。アルマは、「傑作を描いたら結婚しましょう」と約束します。ココシュカは二人の官能の世界を『風の花嫁』に完成。彼は表現派の英雄と呼ばれることになりますが、アルマが再婚したのは建築家のグロピウスでした。
マーラーへの献身、ココシュカの激しい求愛、愛に束縛され続けたアルマはこう望みます――「私はもう、どんな男の奴隷にもならないだろう」
やがてアルマは、11歳年下の詩人フランツ・ヴェルフェルと不倫関係に。きっかけは、アルマが雑誌で読んだヴェルフェルの詩でした――「その詩は、およそ私が知っているものの中で一番美しいものです」
ヴェルフェルはアルマの3人目の夫となります。しかし、二人がイタリア旅行中の1938年、ドイツがオーストリアを併合したというニュースが! ヴェルフェルはユダヤ人でした。そこで、アルマは驚異的な行動力を発揮します。夫の手を引きヨーロッパ中をさすらったあげく、徒歩でピレネー山脈を越え、アメリカへの亡命に成功したのです。
逃避行中の体験をもとに、ヴェルフェルは小説『ベルナデットの歌』を書き上げます。映画化もされ人気作家となりますが、間もなく他界。晩年、アルマは主宰する音楽サロンの女王として活躍しました。「愛が最上のインスピレーションを与えます」
――天才芸術家たちの女神として輝き続けた華麗な生涯でした。
1879~1964年。ウィーン生まれ。成功した風景画家の娘として生まれ、文学・哲学・絵画・音楽などに才能を発揮。その美貌もあって多くの芸術家を虜にする。天才音楽家マーラー、建築界の巨匠でバウハウスの創設者グロピウス、作家で詩人のヴェルフェルと結婚。また、表現主義を代表するココシュカとも恋愛。偉大な彼らに多大な影響を与える。戦時中、アメリカに亡命し、音楽サロンを主宰。歌曲作品や著作品も遺している。