医師
エリザベス・ブラックウェル
Elizabeth Blackwell
「私は嬉しい。他人ではなく、私が開拓者としてこの仕事をするのだということが!」
1849年、世界で初めて正規に認められた女性医師がアメリカで誕生しました。28歳のエリザベス・ブラックウェルです。しかし、それまでの道のりは険しく、さらに免許取得後も医師の仕事を始めるまでは平坦な道ではありませんでした。
エリザベスは、1821年にイギリス西岸の港町ブリストルで11人姉弟の3女として生まれました。父親は製糖工場を経営し、裕福な家庭でした。エリザベスは幼い頃から意地っ張りで頑固な女の子。「誰もやったことのないことをやりたい!」――3歳にして抱いた目標です。
やがて、父親の事業が傾き、1832年、一家は新天地アメリカへ。しかし、事業の再建は思わしくないまま父親は体調を崩し、エリザベスが17歳の時に帰らぬ人となります。
悲しみに浸る間もなく家計のために、姉2人と共に学校を開きます。学校の経営は軌道に乗りますが、エリザベスはいつしか
「何か、全身を打ち込めるような仕事がしたい」という焦燥に駆られるように。そんなある日、末期の子宮がんに侵された母の友人を見舞います。「もし、女性のお医者さんに診てもらっていたら…」「あなたは頭がよいのだから、医学の勉強をすればいいのに」――こう語る女性の発言は、当時はあまりにも常識外れなものでした。
しかし、エリザベスの胸の内に芽生えたのは医師への夢。それなのに誰に相談しても反対されるばかり。そうなると、意地っ張りのエリザベスを止められる人はいません。
26歳でエリザベスは、医学の都フィラデルフィアへ。しかし、どこの医学校も女性の入学を拒否。ようやく12校目のジェネヴァ医学校に入学できました。夏休みに働いた救貧院では、不潔な環境とチフス患者の関係性を記録し、その論文が高い評価を得ます。エリザベスは、いち早く予防医学に関心を持ったのです。
男子生徒や教師の嫌がらせにもめげず、エリザベスは1849年に首席で卒業。ついに、女性で初めて医師免許を手にしたのです――
「私の一生を捧げるつもりです!」
そして、「手術で命を救うのは外科医」と、研修のために最新の医学が学べるパリへ向かいます。しかし、パリは女性蔑視が激しく医師免許など無視。紹介されたのは産院の助産婦見習いでした。下働きに励むある日。悪性眼炎の赤ん坊から感染し、エリザベスは片目を失明。外科医への道が無残にも閉ざされます…。
次に、エリザベスはロンドンの病院からインターンとして迎えられます。そこで、看護師のナイチンゲールと親しくなり「病人をなくす」という理想を語り合うのです。
そして、ニューヨークで内科医として開業することを決意し、帰国。小さな診療所を開きますが、変人扱いで患者は来ません。様々な苦労を乗り越えて1857年に女性と子どものための病院を開設。さらに、1868年47歳で世界初の女子医学校を創設します――「私は嬉しい。他人ではなく、私が開拓者としてこの仕事をするのだということが!」
エリザベスが信念を貫いて取り組んだのは、予防医学です――「太陽の光と、よい食べ物と無用の心配をなくすこと。それが病気を防ぐ根本である」「百年後の世界に通用する、根本の真理」。幼い頃に抱いた決意“誰もやったことのないこと”をやり遂げた不屈の生涯でした。
1821〜1910年。医師。イギリスで生まれ11歳でアメリカへ移住。医学校に学び、1849年に世界初の女性医師となる。パリで眼病に罹り片目を失明、外科医を諦める。ニューヨークで小さな診療所から出発し、1857年には病院を開設。1868年に世界初の女子医学校を創立。母国のロンドンでも女子医学校を設立。予防医学の先駆者として活躍し、ロンドン郊外で89歳で没した。