女優
エリザベス・テイラー
Elizabeth Taylor
私に負ける予定はないわ。私はいつでも生き残るのよ。
1944年、アメリカで映画『緑園の天使』が公開されると、たちまち映画会社MGM社史に残る大ヒットを記録。主演は、紫色がかった青い瞳と黒髪の完璧な美少女と騒がれていた12歳のエリザベス・テイラー。一躍人気アイドルとなり、生活が一変しますが、エリザベスはけな気にも母親にこう伝えます――「私はあらゆる辛さや、映画に伴うすべてのことを受け入れるつもりです」
エリザベスは、1932年にロンドン在住のアメリカ人夫婦のもとに誕生します。6歳の頃、まもなく戦争が始まるという警告に、一家はカリフォルニアに移住。住まいがハリウッドに近かったことから、元女優の母親は娘を子役にしようと奮闘。
そうして、何本かの映画に出演、『緑園の天使』で大ブレイクしたのです。エリザベスは、撮影所内の学校に通い、ステージママと化した母親の厳しい管理のもとに育ちます。
「私には不幸な子ども時代なんてなかったわ。子ども時代そのものがなかったんだもの」――楽しい子ども時代を味わうことなく、ひと飛びで年頃になったエリザベスが興味を持ったのは、恋愛でした。何人かと婚約を繰り返した末に、18歳でホテル王ヒルトンの息子と結婚。1年もしないうちに離婚します。
仕事は順調に恵まれましたが、ただ美しいだけのお人形のようだったエリザベスが変身したのは、3度目の結婚がきっかけでした。プロデューサーだった夫マイク・トッドによって大人の女優へと成長したのです。しかし、マイクが飛行機事故で死去。悲嘆に暮れるエリザベスを慰めた親友の夫、エディ・フィッシャーとまさかの略奪婚をします。世間を騒がせた大スキャンダルは、魔性の女としてのエリザベス人気を煽ることに。
美人女優から演技派女優へと変貌する中,60年に『バターフィールド8』の娼婦役でアカデミー賞主演女優賞を獲得。でも、作品に不満足な上に、肺炎で入退院したばかりだったエリザベスは、「肺炎で死にそうだったからもらえたのね」――と発言。その6年後、『バージニア・ウルフなんかこわくない』で、すさんだ中年女性役を迫真の演技でこなし、納得のオスカーを手中にします。
私生活では、『クレオパトラ』で共演したリチャード・バートンと、3年間のW不倫の末に,64年に結婚。バートンは、伝説となった33.9カラットのダイヤの指輪と、69カラットもある巨大ダイヤのネックレスをエリザベスに捧げひれ伏します。あまりのゴージャスさに俗悪、悪趣味との非難にも――「自分が俗物だってことぐらい知ってるわ。だけど、ほかの私を考えられる?」
「男性のいない人生なんて考えられないわ。女は男がいてこそよ」――手に入れた恋は8回もの結婚に持ち込み、しわも贅肉もスクリーンに大胆にさらけ出し、宝石も毛皮もお気に入りのものはすべて身につける…。他人の視線などものともせずに正直な生き方を貫くエリザベスが、誰にも真似のできない行動に出たのは,80年代。エイズ撲滅運動に立ち上がったのです。まだ、人々がエイズに関心を示さなかった時代です。
「私、負ける予定はないわ。私はいつでも生き残るのよ」――最期まで華やかに数々の話題を振りまき、スターらしく生き抜いたエリザベスでした。
1932~2011年。女優。ロンドン生まれ。戦禍を逃れアメリカに移住、子役からスタートし、左右対称の完璧な美貌と称賛され、トップ女優へと君臨。’60年『バターフィールド8』と’66年『バージニア・ウルフなんかこわくない』でアカデミー賞主演女優賞を獲得する。8回の結婚、エイズ撲滅運動やマイケル・ジャクソンとの親交などでも有名に。