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時を創った美しきヒロイン

探検家・旅行作家

イザベラ・バード

Isabella Bird

まるで新しい世界、自由で新鮮で、気楽で
何の制約もない生き生きとした世界

 1880(明治13)年、イギリスで高名な紀行作家イザベラ・バードが『日本奥地紀行』(原題・日本の未踏の地)を出版しました。当時の日本は、西洋からは未開の国。さらに奥地である東北地方を旅した紀行本は大変な人気となりました。

 イザベラ・バードはヴィクトリア朝時代の1831年に、イギリス北部に生まれました。弁護士から牧師となった父親は、イザベラと妹のヘンリエッタに男の子並みに教育を施し、自立心を育みます。そのイザベラは作家を夢見る病弱な少女でした。

 長じて体中の不調に悩まされ、さらに失恋も経験。心因性の病とみなした医師は、イザベラに船旅での転地療養を勧めます。そして23歳の時、父親から大金を渡されたイザベラは、カナダと北アメリカを旅行。帰国後、一人旅の旅行記を出版し、作家になる夢をかなえたのです。

 しかし、女性が家に閉じ込められていた時代、自分の活躍の場もない単調な日常に戻ると、再び不調に――「私は動かないでいると、体はもとより精神も沈滞してしまうのです」。さらに、両親が相次いで他界。重度のうつ病に苦しむ彼女は、40歳を過ぎて起死回生の旅に出ました。

 そして、ニュージーランドからハワイへ向かう途中、嵐に遭遇し大揺れの船内で、イザベラが感じたのは恐怖ではなく心の解放でした。突如、冒険心に目覚めた瞬間でした――「ついに私は大好きなものを手に入れました。海の神に身も心も魅入られてしまったのです」。そうして、ハワイでは、世界最大の火山マウナ・ロア山に登攀。アメリカでは、ロッキー山脈を馬で越えました。

 旅は彼女にとって「まるで新しい世界、自由で新鮮で、気楽で何の制約もない生き生きとした世界」となります。どんなに疲れても毎日日記を記し、故郷の妹に手紙を書きます。時には克明なスケッチを描きます。帰国後にそれらをまとめ、本にしたのです。そして、次に選んだ旅先はまだ見ぬ東洋の島国・日本でした。

 1878(明治11)年5月、横浜港に到着したイザベラは、日本国内どこにでも行ける旅券を特別に入手。ガイド兼通訳の伊藤鶴吉を従えて日光から東北を目指しました。

 そこはしかし、文明開化の及ばない貧しい農村地帯。大英帝国のインテリ女性にとって想像を絶する秘境でした。男はふんどし、女は腰巻だけの裸同然の姿。宿ではノミ・シラミに襲われ、村人は外国人を一目見ようと障子を穴だらけにします。

 それでも彼女を感嘆させたのは、日本人の子煩悩さや正直さでした――「わが子をこれほどかわいがる人々を見たことがない」「一度も失礼な目にあったこともなければ、真に適当な料金を取られた例もない」。また、美しい田畑に目を見張り「東洋のアルカディア」と勤勉さを称えます。さらに、北海道では、アイヌの集落を訪ね歩き、「立派な風貌で、やさしく、礼儀正しく、正直で悪意のない」人々と触れ合いました。

 しかし、最愛の妹ヘンリエッタが病死し、50歳で結婚した夫とも5年後に死別。人生の悲しみを乗り越えたイザベラは、莫大な印税を元手に、再び世界中の辺境を駆け巡ります。

「どんなことにも手を出し、どこへでも足軽く飛んでいく」――女には無理とされた探検旅行に挑み、その記憶を人々の心に留めたイザベラが、天国へ旅立ったのは72歳の時でした。

Profile

1831~1904年。探検家・旅行作家。イングランド、ヨークシャー州で牧師の家庭に生まれる。幼少期から病弱で療養のため、23歳でカナダとアメリカを旅行。この旅行記で作家デビュー。41歳でオーストラリア、ハワイ、アメリカなどを旅し、47歳で来日。東北、北海道、関西を回る。『日本奥地紀行』がベストセラーになり、簡略本も出版。医療伝道でインド、ペルシャ、チベットを回った他、中国、朝鮮、モロッコなどを旅した。多数の旅行記の他、多くのスケッチや写真を遺している。