ファッションデザイナー
マリー・クワント
Mary Quant
欲しいけれど
この世に存在しない服を作り始めた
2019年4月から2020年2月にかけ、ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館で「マリー・クワント展」が開催され大反響を呼びました。そして、2022年11月から2ヵ月間ほど、東京にも巡回。「ミニの女王」と呼ばれたマリーの回顧展は日本でも大盛況となりました。
マリー・クワントは、1930年にロンドン近郊で両親共に教師の家庭に生まれました。幼い頃からファッションに夢中でしたが、着るものは従姉のおさがりばかり。「ごてごてと飾りがついた服」にうんざりしたマリーは、「せっせとベッドカバーを切り刻んでは、自分の欲しい服を作ろうとしていた」
そして、「服をデザインしたいという強い思い」を抱いたマリーは、ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジ(アートスクール)で学びます。戦後の暗い時期を経て、若者たちがエネルギーを爆発させようとしていた当時、マリーも「新しい生き方を求めて」いました。そして、学生仲間のアレキサンダーから交際を申し込まれます。彼は、貴族階級で明るくお洒落な好男子。すぐに恋人同士となり、後に夫となりました。
卒業後、マリーは高級帽子店に就職。地下室で帽子作りの修業に励みます。でも、レディの帽子一つに5日もかける仕事は時代遅れで「明るい未来はない」と感じたのです。
やがて1955年、アーティストが集まるチェルシー地区のキングスロードに、小さなブティック「バザー」を開店。マリーが仕入れた服やファッション雑貨を並べていましたが、卸問屋に自分が着たい商品がほとんどないことを不満に思います。
「欲しいけれどこの世に存在しない服を作り始めた」――市販の型紙を手直しし、デパートで生地を仕入れ、自分が着たい服を作り始めます。すると、飛ぶように売れたのです。
特に人気なのは膝を露わにした短いスカート。バスに乗り遅れそうになっても走れると好評でした。マリーは自分の愛車ミニから「ミニスカート」と名付けます。ミニに似合うカラータイツも開発。1950年代末に生まれたミニスカートは、間もなく世界中を席巻するのです。
「今を生きる若者たちのファッションをデザインしたい」――ファッションは高級仕立て服が中心で上流階級のものだった時代、マリーは大量生産の既製服へと事業を拡大。ファッションの民主化という革命を起こしました。手頃な価格で、カラフルな動きやすい服、フラットシューズ、普段着だったパンツもお洒落なパンツルックとなり、着ると楽しくなると若者層に大受けしたのです。
そして、古い価値観を打ち破り、自由に自己表現ができるマリーの服は、女性の社会進出の足がかりとなり、女性解放の象徴となりました。また、「頭からつま先までトータルコーディネートをしたい」とコスメティックスを生産。さらに、インテリア用品から壁紙まで手がけます。
しかし、1990年にかけがえのない夫が病死。マリーは生来、内気な性格で、インタビューなどが大の苦痛。そんな彼女を励まし守ってくれる存在でした――「彼の死を乗り越えることは、一生できないと思う」
支えを失ったマリーはやがて引退、彼女が貫いた思いです――「洋服とはなりたい自分を表現するための手段」「ファッションはお飾りではなく人生の一部」
1930~2023年。ファッションデザイナー。イギリス・ケント州生まれ。1955年、恋人のアレキサンダー(広報担当)、友人のアーチー(財務担当)の3人で、ロンドンにブティック「Bazaar」を開店。1958年頃からミニスカートが大ヒット、世界中でミニスカ旋風を巻き起こす。黒いデイジーを商標にして、服から下着、タイツ、靴、化粧品などを展開。1966年には外貨獲得に貢献したことで大英帝国勲章を受章。1993年にはすべての権利を日本の企業に譲渡している。