イギリスのミステリー作家
アガサ・クリスティ
Agatha Christie
人が読みたいと思うものを書くコツをみつけた、幸運な女なのだ
1926年12月3日、イギリスで36歳の人気ミステリー作家アガサ・クリスティが失踪しました。翌朝、アガサの車が地方の田舎道で発見されます。ヘッドライトは壊れ、車内には彼女の荷物が残されたまま。失踪当夜、夫のアーチボルドが愛人と一緒だったことも判明。夫による妻殺害説まで飛び出し、マスコミは大騒ぎとなり、大捜索が始まります。
アガサ・クリスティは、1890年、イギリス南西部の保養地トーキーで裕福な家庭に生まれました。本名はアガサ・メアリ・クラリッサ・ミラー、上には歳の離れた姉と兄がいました。利発な姉と違い、アガサは、空想上の友達と遊ぶ内気な少女でした。姉、兄は寄宿制学校に進みますが、アガサは学校教育を受けず、5歳の頃から一人で文字を覚え、家にある本をむさぼり読みます。
アガサは姉の手ほどきで、シャーロック・ホームズなどを読むようになった17歳の頃、「探偵小説を書いてみたい」と口にします。姉はすかさず「あなたには絶対に書けっこないわ」と断言。その言葉に、アガサは焚き付けられます――「〝いつか必ず探偵小説を書こう〟という考えが植えつけられたのである」
21歳の時、婚約者のいたアガサは、ダンスパーティーでさっそうとした少尉アーチボルド・クリスティと出会い、電撃的な恋に落ちます。そして1914年、第一次世界大戦勃発直後に24歳で結婚。アーチボルドはすぐに戦地へ。アガサは篤志看護隊として病院で働き、薬剤師として薬局勤務にもつきます。この時、毒薬の知識を身に付けたのです。
「暇な時間、探偵小説の断片が頭の中でぐるぐる回っていた」――夫が不在の間、アガサは、姉への挑戦で探偵小説を執筆。探偵ポアロが解決する毒殺事件『スタイルズ荘の怪事件』は、出版社をたらい回しにされた末、1920年に世に出ました。
やがて『アクロイド殺し』が評判となり、人気作家の仲間入りを果たした1926年、悲劇が襲います。最愛の母が他界し、さらに夫が愛人の存在を告白。離婚を切り出されたのです。呆然としたアガサは失踪…。
謎の失踪から11日後、あるホテルに夫の愛人名で宿泊していたアガサが発見されます。しかし、アガサは何も覚えておらず、一時的な記憶喪失症と診断されます。彼女の死後に発表された自伝では、この事件のことは一切触れられていません。
事件後、2人は離婚。しかし、絶望の中でもアガサは作品を書き続け、人気探偵ミス・マープルを創り出します。それまでは〝クッションに刺繍するように〟気楽に書いていたアガサが、初めて創作の苦しみを味わったのです。――「書いていても楽しくなかった。……アマチュアからプロへ転じた瞬間であった」
1930年、気晴らしのために訪れた中近東で、知り合った14歳年下の考古学者マックス・マローワンと魅かれ合い再婚。彼は、寡黙で穏やかな好青年でした。アガサは満たされた生活の中で、『オリエント急行殺人事件』『そして誰もいなくなった』などの傑作を次々に発表。〝ミステリーの女王〟〝恐怖の女帝〟などと呼ばれるようになります。
アガサは登場人物にこう言わせています。「殺人に興味がないなんて人間はいない」「自分は、多くの人が読みたいと思うものを書くコツを身に付けた、幸運な女なのだ」
1890〜1976年。イギリスのミステリー作家。1920年、探偵エルキュール・ポアロが登場する『スタイルズ荘の怪事件』でデビュー。ミス・マープル、トミーとタペンス、クィン氏などの名探偵を創り出す。生涯100作以上の作品を書き、劇作家としても活躍。別名で文芸作品も発表。聖書の次に読まれていると言われ、多くの作品が映画化、ドラマ化されている。その偉大な功績で大英帝国勲章が授与。