歌手
カレン・カーペンター
Karen Carpenter
自分にこんなとんでもないことができるなんて考えてもいませんでした
1983年2月4日、カーペンターズのボーカリスト、カレン・カーペンターが32歳の若さで急死しました。カーペンターズは、驚異の大ヒット曲を次々に生み出して1970年代を駆け抜けた兄妹デュオでポップス界のスーパースターです。直接の死因は心不全でしたが、実はカレンは長い間、摂食障害を患っていたのです。この突然の死に世界中のファンが衝撃を受け涙したのでした。
カレンは、1950年3月2日にアメリカ東海岸のコネチカット州で誕生しました。3歳半上には兄リチャードがいます。リチャードは文字を読めない頃から父親が集めたレコードを聴き入り、ポピュラー、クラシック、ジャズなどすべての曲を分析。ピアノを習えば神童と呼ばれる、内気な音楽オタクの少年でした。そんな兄を誇らしく思うカレンは、スポーツ好きな健康的な少女でした。
カレンが12歳の時、カーペンター一家はカリフォルニアへ引っ越します。ハイスクールでバンドを始めたリチャードを真似て、カレンが親にねだったのが、ドラム・セットでした。
そして、ドラム技術をマスターしたカレンの演奏に、音楽の天才リチャードも「度肝を抜かれました!」と感嘆。
「自分にこんなとんでもないことができるなんて考えてもいませんでした」
――カレンはこの時から音楽に恋したのです。
さらにリチャードはカレンの秘めた歌の可能性を見抜き歌わせます。こうして、リチャードが作曲・編曲・ピアノ、カレンがボーカルとドラムというスタイルが出来上がっていきます。やがて、プロデビューを果たしたのは、1969年のこと。
デビュー曲「涙の乗車券」はあまり話題になりませんでしたが、ブレイクしたのは70年代に入ってのこと。「遥かなる影」「スーパースター」「トップ・オブ・ザ・ワールド」などのヒット曲を飛ばし、世界のポップス市場を席巻していきます。
しかし、ハードロック全盛時代。評論家たちはメロディアスな彼らの曲を「ご清潔」などと嘲(あざけ)ります。その中で、ポール・マッカートニーは「世界で最高の女声(じょせい)であり、旋律が美しく豊かで独特」と賛美しました。「私たち、ごく普通なんです」――20歳でいきなり有名になったカレンは、スターを標的にするマスコミに戸惑います。容姿を揶揄(やゆ)されると、「私は美しくない。太っている」というコンプレックスを抱くのです。
また、カレンの“神からの授かりもののような声”に評価が集まると、兄を崇拝するカレンは、「私は歌っているだけ」と卑下するように。さらに、兄を溺愛する母親は、娘の成功を認めず常に支配的な態度でした。平凡な結婚への夢も遠のき…。
様々な心の闇がからみ合い、カレンはいつしか死に至る拒食症へと陥っていくのです。多い時は年間200回もの公演という過密スケジュールも二人を蝕んでいきます――「ステージを離れたら、心が空っぽ…」
そして、リチャードは睡眠薬依存症となりますが、’79年に治療で回復。でも36㎏まで体重が落ちたカレンが治療を開始したのは、’81年のこと。
「私はこれ(病気)に負かされる前に負かさなければならないの」――決意もむなしく肉体は限界でした。「しなくちゃならないことがたくさんあるの」――最期まで明日を夢見ていたカレン。墓碑には「地上の星(スター)、天上の星(スター)」と刻まれました。
1950~1983年。歌手。アメリカのコネチカット州生まれ。兄リチャードとカーペンターズを結成。カレンはドラムとボーカルを担当。1969年にデビュー。カレンの天性の美しい声に人気が集まり、数々のヒット曲を出す。26歳の頃から神経性食欲不振症を患い、32歳で急死。 ’81年に実業家と結婚したが、すぐに破綻している。カレンの死は摂食障害が広く世間に認知されるきっかけとなった。