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時を創った美しきヒロイン

時を創った美しきヒロイン

社会活動家

アン・サリバン

Anne Sullivian

ヘレンが私を頼りにしてくれることが、
私を強くし、喜ばせてくれます。

 1959年にニューヨークで、舞台『奇跡の人』が大好評となり、3年後には映画化されました。見ること聴くこと話すことができないヘレン・ケラーの実話を描いたもので、日本でも大ヒットとなりました。そして、ヘレンが奇跡の人として有名になりますが、原題は「The Miracle Worker」。実は、ヘレンを導いた家庭教師アン・サリバンの偉業を奇跡と称えたものだったのです。

 アン・サリバンは、1866年にアメリカ東部マサチューセッツ州で、極貧家庭に生まれました。3歳の時に眼病を患い、視力をほとんど失います。母親が病死すると、父親は9歳のアンと弟ジミーを救貧院に入れ姿を消したのです。ジミーはまもなく息を引き取ります――「世界中でただひとつ愛したものを喪った」

 天涯孤独となったアンは、次第に悲惨な境遇から抜け出したいと思うように…。ある日、救貧院の視察に訪れた有力者の前にアンは飛び出します。「お願いです。私を学校に行かせてください。勉強したいのです」

 この必死の訴えが実り、アンは14歳でパーキンス盲学校に入学できたのです。手術も受け、ある程度の視力を回復できました。そして、文字を書けなかったアンが、6年後には総代で卒業したのです――「社会に出て、幸せな世界を作るために精いっぱい頑張るつもりです」

 そして、自活のため紹介された仕事が、ヘレンの家庭教師でした。1887年3月3日、21歳になったアンは、南部アラバマ州にある裕福なケラー家に到着。その時、飛び出してきた女の子がアンに突進して手探りします。それが6歳のヘレンでした。ヘレンは、1歳8カ月で罹った熱病のため視力と聴力を失ったのです。

 その頃ヘレンはわがまま放題に育てられ、手に負えない野生児でした。アンは驚きながらもさっそく考えます――「どうやって彼女を訓練し、しつけるかが最大の課題です」

 アンはヘレンを家族から切り離し、屋敷から離れた別邸で二人だけの生活を始めます。まずは作法を覚えさせます。次に、ヘレンの溢れる好奇心を感じ取ったアンは、指の形でアルファベットを示す指文字で、ヘレンの手のひらに物の名前を一つ一つ書いていきます。「子どもは周囲の模倣によって言葉を覚えるもの。赤ちゃんの耳に話しかけるようにヘレンの手に話しかけることにします」

 1カ月後に、すべての物には名前があることを理解したヘレンは、急速な進歩を遂げ、多くの言葉、文章、さらに書くことも覚えます。ヘレンが旅先から母親宛に手紙を書いたのは、アンとヘレンが初めて会ってからたった4カ月後のことでした。「自分が世の中の役に立っているとか、誰かに必要とされていると感じることは大変なことです。ヘレンが私を頼りにしてくれることが、私を強くし、喜ばせてくれます」

 こうして、アンはヘレンの目と耳となり二人三脚で猛勉強し、ヘレンは名門ラドクリフ女子大学(現在はハーバード大学に合併)に入学したのです――「知識は愛であり光であり、未来を見通す力なのです」

 過酷な運命を努力で切り拓いたアンは、ヘレンの人生にも光を当てました。そして、生涯ヘレンに寄り添いながら、障害者も平等に生きていける社会を目指して主張していきます。“奇跡の人”と称賛されたアンが亡くなったのは70歳の時でした。

Profile

1866~1936年。社会活動家ヘレン・ケラーの家庭教師。アメリカのマサチューセッツ州で生まれる。視覚障害があり救貧院で育ち、14歳で盲学校入学。21歳でヘレンの家庭教師となる。独自の教え方でたった2カ月でヘレンに言葉を覚えさせる。生涯、ヘレンの目と耳となり活動を共にし支え続けた。障害者も健常者と等しく生きていける社会を目指した。