体操選手
ベラ・チャスラフスカ
Vera Caslavska
スポーツ選手は、競技中に決してあきらめない
1964年10月、東京オリンピックが開催されました。そこで話題をさらったのが、チェコスロバキアの美貌の体操選手ベラ・チャスラフスカです。深紅のレオタード姿の艶やかな肢体、優雅でダイナミックな演技。個人で3つの金メダルに輝いたベラは「オリンピックの名花」「東京の恋人」などと称賛されました。4年後のメキシコオリンピックでも大活躍。しかしその後、ベラの消息は長い間途絶えてしまいます…。
ベラ・チャスラフスカは1942年、現在のチェコの首都プラハに3人姉妹の末っ子として誕生。小さな頃から姉たちのお供で、バレエ、アクロバット、フィギュアスケートを習い、どれも見事にこなします。
そして、「もっと自由で、自分を思いきり表現したい」という思いが芽生えた頃、体操競技に出会いすぐに体操へ転向。やがて、東京オリンピックで金メダリストとなるのです。
1968年、チェコスロバキアで「プラハの春」と呼ばれた民主化運動が盛り上がります。知識人たちはこの運動を支持する「二千語宣言」に署名。政治に関心のないベラでしたが、自由を求める気持ちは当然。だから、ベラも署名します――「ほんの一瞬でも迷わなかった」
同年8月21日、後に世界遺産となる美しい古都プラハにソ連軍の戦車団が侵攻。民主化運動の武力弾圧でした。ラジオは「二千語宣言の署名者は隠れて!」と呼びかけます。
強化合宿中だったベラはすぐさま山奥の小屋に逃げます。メキシコオリンピックまであと1か月。ベラは石炭運びで筋力を鍛え、床に線を引いて平均台の練習をします。
そうして臨んだメキシコ大会。ライバルのソ連選手をにらみつけ、気迫に満ちた演技で、4つの金メダルと4つの銀メダルを手にしました。そして競技終了後、同じチェコの陸上選手と電撃結婚。一躍、ソ連を打ち負かした英雄となったのです。
けれどもその栄光はつかの間。ラジオから「共産党万歳!」の大合唱が流れてきたのです。「もうおしまいだ、ずっと暗黒だ」――全身の力が抜け絶望するベラ。「二千語宣言」の署名者は次々に署名を撤回。しかし、ベラは頑として拒否します。「祖国のために、国旗を一番高く揚げたのに。でも、自分を裏切るわけにはいかない」――反革命分子となったベラは、共産党政権によって存在を抹殺されます。金メダリストを育てる夢も絶たれ、夫とも離婚。生きる支えは2人のわが子だけでした。
1989年11月9日、ベルリンの壁が崩壊。チェコスロバキアでは「ビロード革命」と呼ばれる政権交代が起こります。11月24日、広場を埋め尽くす大群衆の前に20年ぶりに、かつての英雄ベラが姿を現しました。「今言わせてもらえるでしょう。私は卑怯者ではないのだと!」――若者に未来をと力強く演説するベラに歓声が沸き起こります。
表舞台に返り咲いた後も、旧勢力の攻撃にさらされるなど、彼女の道のりは多難でした。そして、2011年10月東日本大震災の被災地を訪問。久々に元気な姿を見せました。
「スポーツ選手は、競技中に決してあきらめないで闘うように訓練されているのです」――政治に翻弄されながらも凛として生きるベラの姿に、誰もが拍手を惜しみませんでした。
1942年~。体操選手。現チェコ共和国のプラハに生まれる。体操選手として、’64年の東京オリンピックと’68年のメキシコオリンピックで金メダリストとして活躍。しかし「プラハの春」弾圧で、「二千語宣言」の署名撤回を拒否。苦難の日々を送るが、’89年の東欧革命で復帰。チェコオリンピック委員会総裁などを務め、2010年に旭日中綬章を授与。