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時を創った美しきヒロイン

時を創った美しきヒロイン

ジャズ歌手

ビリー・ホリデイ

Billie Holiday

それは私がビリー・ホリデイで、あらゆる苦労を卒業した女だからだ

 1939年4月のある夜、ニューヨークのナイトクラブ「カフェ・ソサエティ」で人気のジャズ歌手ビリー・ホリデイが新曲を披露しました。『奇妙な果実』という歌で、南部でリンチされた黒人の死体が果実のように木に吊るされている残忍な光景を歌ったものでした。この衝撃的な歌はたちまち話題となり、レコード化もされ大ヒットしたのです。

 奴隷解放から半世紀、しかし黒人は依然として差別され、リンチ殺人も禁止されていない時代でした。

 ビリー・ホリデイは、1915年に東部のボルチモアで13歳の母と15歳の父の間に私生児として生まれました。本名はエリノラ・フェイガンで、小さな頃から掃除婦をし、使い走りをしていた売春宿では、蓄音機から流れるジャズに聴き惚れます――「私を幸福な気持ちにした」。

 しかし、10歳で近所の男にレイプされ、男を誘惑した罪で感化院送致に。13歳になったエリノラは、母とニューヨークで暮らし始めますが、売春で収監されてしまいます。

 そして15歳で、売春から足を洗いますが、母親が病気となり立ち退きに。エリノラは仕事にありつこうと、一軒のジャズクラブに飛び込みます。結果は門前払い。その時、ピアノ弾きが「歌は歌えるかい?」と、演奏を始めます。何度も聴いた曲でした。夢中で歌ったエリノラにチップの山が! この夜から、大好きな女優ビリー・ダヴと、再会したギター奏者の父親の姓ホリデイからビリー・ホリデイとして舞台に立ったのです。

 ビリーは、メロディーに縛られず、しなやかにリリカルに表現力豊かに歌います。ビリーが歌い出すと、ざわめく客席が静まり返ります――「感じたものを率直に歌えば、聞く人は何かを感ずるのである」。

 18歳でレコードデビューを果たしたビリーは、やがて、白人ビッグバンドの紅一点シンガーとして、巡業して回ります。しかし、行く先々で、レストランやホテルでビリーだけが締め出され、トイレも使えません。演奏会場では裏口から貨物用エレベーターに乗せられるはめに。

 差別に苦しんだビリーは、バンドを脱退。人種差別のない進歩的なカフェ・ソサエティで歌うようになります。そんなある日、詩人と名乗る白人男性がビリーに歌ってほしいと『奇妙な果実』の詩を持ち込みます。

 それは、自分や父の人生に重なるような詩でした。演奏旅行中に病気になり、病院をたらい回しにされて亡くなった父…。その無念さを晴らすかのように「聴衆を打ちのめす気持ち」でビリーは歌ったのです。

 やがて、カーネギーホールを超満員にし、ヨーロッパツアーを成功させるなど栄光を味わいます。その一方で、愛した男に喰い物にされるなど、悲惨な運命を突き進みます。母親も亡くし、孤独を忘れさせるのは麻薬とアルコールでした。

 急激に憔悴していくビリー…。でも、聴衆の前では、恋の歓びを、失恋の涙を、黒人の苦悩を感動的に歌い上げます――「なぜかって? それは私がビリー・ホリデイで、あらゆる苦労を卒業した女だからだ」。

 そして、この世の苦しみから永遠に解放されたのは、44歳のときでした――「飢え」とか「愛」という言葉を、私のように歌う人はいない、という批評がある。たぶん、私が、それらの言葉に含まれる意味を、生々しく憶えているからだろう。

Profile

1915〜1959年。ジャズ歌手。アメリカのボルチモア生まれ。貧困の中で育ち、13歳の頃ニューヨークに出て、売春で入獄。15歳の頃からナイトクラブで歌うようになる。髪に飾ったくちなしの花がトレードマークで、「ジャズ史上最高の女性歌手」となるが、黒人差別に苦しみ、麻薬で投獄。代表作に「月に願いを」「ファイン・アンド・メロウ」「奇妙な果実」など。