女優
キャサリン・ヘプバーン
Katharine Hepburn
27年間は私にとって至福の時間だった。
“愛”という言葉を私は使いたい
1981年11月、アメリカで映画『黄昏』が公開されました。老夫婦を中心に織りなす物語で、撮影当時、夫役のヘンリー・フォンダ76歳、妻役のキャサリン・ヘプバーン74歳でした。映画はヒットし、翌年、主役2人は揃ってアカデミー賞主演賞を受賞。キャサリンは、演技部門で最多受賞記録の4回目という快挙で、未だにこの記録は破られていません。
キャサリン・ヘプバーンは、1907年にアメリカのコネチカット州ハートフォードで誕生しました。父親は高名な医師で母親は婦人参政権などで闘う活動家。進歩的な家庭で、自由に育ちます。水泳、テニス、乗馬、ゴルフなど運動が大好きな活発な女の子で、髪を短くし自らをジミーと名乗ります――「私はいつも男になりたいと思っていた」
やがて、大学で学生演劇に熱中。卒業後には役者の道を目指します。その頃、親友だったラディと結婚。数年で結婚は解消されますが、2人の友情は永く続きました――「彼は何にましても私の友人だった!」
役者修業中、欠点とされたのは、彼女のキンキンとした鼻声。すぐに、ニューヨークで発声の指導を受けます。下積みを経て役者として高評価を得たのは1932年25歳の時でした。その評判が映画界に伝わり、同年、『愛の嗚咽』でハリウッドデビューを果たします。そして、3作目の『勝利の朝』でアカデミー賞主演女優賞を勝ち取ったのです。
しかし、普段からドレスを嫌いパンツスタイルで通し、インタビューも嫌い、公の場に出ない反抗心の強い彼女は映画会社の悩みの種でした。でもファンからは、身長170㎝のスレンダーな肢体、抜群の演技力と知的な美貌の颯爽とした個性が、現代的として支持されたのです。
そして、33歳の時に『女性№1』に出演。相手役はスペンサー・トレイシー。アカデミー賞主演男優賞を2回獲得した尊敬すべき名優でした。初対面でキャサリンは思わず「私、あなたには少し背が高すぎるみたい」。それに対して身長165㎝のスペンサーは「ご心配なく。あなたを僕に合うように(スクリーンで)切り詰めてあげるよ」。この瞬間、伝説の恋が生まれました――「ああ、この人にはどうにも抵抗できない」
しかし、スペンサーは既婚者で、妻は聴覚に障害のある息子にかかりきり。結婚生活は破綻していましたが、カトリック教徒のため離婚はできません。様々な闇を抱え酒に溺れるスペンサー。さらに、病も得た彼に、キャサリンはひそやかに献身的に尽くしたのです――「私たちはどんどんしあわせになっていくようだった。私たちは、つつましくささやかな満たされた生活を送った」
2人は9作品で共演。彼が体調不良の中で共演した『招かれざる客』の撮影終了後、スペンサーは亡くなります。最期を看取ったキャサリンは、妻への配慮から葬儀には出席しませんでした――「とにかく私たちは、27年間をともに過ごした。その歳月は私にとって至福の時間だった。“愛”という言葉を私は使いたい」。後に、この映画で彼女はアカデミー賞主演女優賞を受賞しています。
その後も『冬のライオン』『黄昏』でアカデミー賞を獲得。「正しいか間違っているかなんてどうだっていいこと、重要なことは逃げ出さないこと」――恋に映画に舞台に、潔く自分を貫いたキャサリンでした。
1907~2003年。女優。アメリカ、コネチカット州生まれ。大学で演劇を志し、舞台女優の道に進む。25歳でハリウッド映画へ。『勝利の朝』『招かれざる客』『冬のライオン』『黄昏』でアカデミー賞主演女優賞受賞。生涯12回のノミネート(メリル・ストリープについで2番目)で、4回オスカーは最多受賞記録。スター扱いを好まず、普段は男物のシャツにパンツスタイルで通し、真似する女性が続出した。96歳で他界。