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時を創った美しきヒロイン

作家

萩原 葉子

Yoko Hagiwara

胸の中に押し込めたままの暗闇を、
陽に当てたいと考えた

 1976(昭和51)年、作家萩原葉子が56歳で『蕁麻の家』を出版。詩人萩原朔太郎の娘として生まれ、親族に虐待を受けながら育った少女時代を描いた自伝的私小説でした。衝撃的な作品は感動を呼び女流文学賞を受賞。「これで世の中に恐いものがなくなったのだ」と葉子は胸のつかえを下ろしたのです。

 萩原葉子は、1920(大正9)年に朔太郎の長女として誕生、2歳年下の妹がいます。その妹が4歳の時、高熱を出したにも関わらず母親が放置したため、脳に障害を負いました。そして葉子が8歳の時、母親に年下の恋人ができ、両親が離婚。朔太郎は優れた詩人でも家庭人には不向きで、子育ては祖母任せに。

 こうして、葉子の受難が始まりました。家長である祖母は、葉子姉妹を居候扱いし食事は僅かな残飯で、「虫ケラ以下」などと毎日罵ります。そのため葉子は、対人恐怖症となり殻に閉じこもってしまいます。

 ある日、自殺を思いつめた葉子は、祖母に入ることを禁じられている父の書棚で石川啄木の『一握の砂』を見つけその短歌の虜に。「悲しいのは私一人ではない」と生きる勇気がわいたのです。以来、読書が心の救いとなります――「家人の眼をぬすみ、こっそりと本を読むのは、暗い時代の唯一の灯であった」

 やがて、昭和17年に心の支えだった朔太郎が死去すると、家を追い出されるような形で職場の上司と結婚。「ようやく針の筵の家庭から脱出できたのは、結婚であった」――しかし、それは「第二の地獄」でした。長男の朔美が誕生しても、貧困と夫の暴力で破局へと進みます。

朔美を連れて家を出た葉子は、教員を目指しますが教育実習で生徒を前に話すことができず断念。妹も含めた家族を洋裁の内職で支えていた37歳のある日、文芸評論家に父の思い出を書くように勧められたのです。断ると「お父さんはあなた一人のものではない」と再三の説得が。こうして葉子は「生きてきた証のために書いてみる」と、文章を書くことを決意します。

 そして、呻吟の末に書き上げた『父・萩原朔太郎』は日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。それからは遅筆ながら数々の作品を上梓します。

 そして執筆で多忙を極める中、生き別れた母を探し出し引き取ります。しかし、母のわがままと認知症、障害のある妹に振り回され再び「生き地獄のような毎日」となったのです。

 さらに胸の奥には、葉子を長い間苦しめていたものがありました――「書かなくては死ねない……あの怨念を書いて晴らしたい。胸の中に押し込めたままの暗闇を、陽に当てたいと考えた」。この思いが『蕁麻の家』に結実したのです。昭和59年には惨めな結婚生活を描いた『閉ざされた庭』、平成9年に母と妹との苦闘を描いた『輪廻の暦』を書き上げ、自伝的私小説3部作が完結しました。「心の奥底をえぐり出し赤裸々になる」ことで、葉子はようやく過去のくびきから解き放たれたのでした。

 また、過労で倒れた44歳の時、健康回復のために始めた社交ダンスで踊る楽しさに目覚め、様々なダンスに挑戦し、対人恐怖症も克服。「人並みの人生が開けた」のです。念願のダンススタジオ付きの家まで建てた葉子が旅立ったのは84歳の時。『朔太郎とおだまきの花』を書き上げて間もなくのことでした。

Profile

1920~2005年。作家。詩人萩原朔太郎の長女として東京に生まれる。不遇な少女時代を過ごし自閉的となる。1959年『父・萩原朔太郎』でエッセイスト・クラブ賞を受賞し作家デビュー。1966年、詩人三好達治を描いた『天上の花』で新潮社文学賞と田村俊子賞受賞。代表作に『蕁麻の家』三部作、他著書多数。文筆活動の他に、ダンス、オブジェ制作を本格的にこなし、「書いて、創って、踊る」「出発に年齢はない」をモットーにした。