時を創った美しきヒロイン 岡本 かの子

時を創った美しきヒロイン

小説は私の初恋だ。恋に打算はない

岡本 かの子Kanoko Okamoto

 昭和4(1929)年12月2日、東京駅は大群衆で溢れかえっていました。今を時めく漫画家岡本一平と、妻の歌人で仏教研究家として有名なかの子、息子太郎の渡欧の見送りでした。車内は花束で埋め尽くされ、大歓声の中を旅立ったかの子の胸の内には、「完成しかかった私を解体する」という決意があったのです。
 かの子は、明治22(1889)年、神奈川県川崎の多摩川べりの大地主大貫家の長女として誕生しました。幼い頃から学問に秀でていましたが、裁縫などの家事が不得手でぼんやりしているため、周囲が心配。でも、両親は娘の個性として扱います。
 そして、文学青年の次兄雪之助の影響を受け、かの子は小学生にして文学に傾倒し、やがて短歌に熱中するように。悩むことなくすらすらと歌を詠む、まさに天性の歌人でした。
 そんな19歳のかの子に一目惚れしたのが、画学生の岡本一平でした。かの子も美青年一平の熱烈な求愛に応えます――「抱かれて我あるごとし天地を広き心にながめたる時」。そして、かの子は21歳で結婚します。
 翌年の明治44年、長男太郎が誕生。しかし、貧しい上に育児も家事もできないかの子は途方にくれてしまいます。文筆活動もままなりません。
 その頃、一平が朝日新聞社社員となりコマ絵(漫画)が評判となって収入が増大。そうなると一平は、放蕩三昧で金を使い果たします。ひもじくて泣く太郎に、かの子は夫の愚痴ひとつ言わず、「あーあ、今に二人で巴里に行きましょうね、シャンゼリゼーで馬車に乗りましょうねえ」と言い聞かせるのでした。
 そして、実家が破産に瀕し援助が断たれ、さらに兄雪之助と母親の死、長女と二男の夭逝が重なり、かの子は心を病んでいきます。一平は、ここに来てようやく改心。かの子を狂気に追い詰めた贖罪の気持ちから、妻に尽くしぬくことを決意するのです。絶望の淵にあったかの子を支えていた恋人、早稲田の学生を一平は同居させることまでしたのです。
 この〝魔の時代〟に、かの子は一平の勧めで青鞜社から処女歌集『かろきねたみ』を出版しています。「ともすればかろきねたみのきざし来る日かなしくものなど縫はむ」――思うように創作活動ができないもどかしい思いが溢れていました。
 そして、心の救いを宗教に求めたことから、かの子は仏教の研究にのめり込み、数々の著作を発表。仏教界のスターとなっていくのです。
 昭和4年、一平がロンドン軍縮会議の特派員となり、冒頭のようにかの子と、18歳の太郎にパリで絵画の勉強をさせるために同行しました。パリの街角で太郎は叫びます。「お母さん、とうとう巴里へ来ましたね」
 そして、成熟した芸術文化が息づいている欧州各地に3年間滞在したかの子は、覚悟を新たにします。ずっと心に抱いていた小説を書くことを――「私は文字の芸術家だ」「小説は私の初恋だ。恋に打算はない」
 帰国後、全身全霊で執筆に邁進したかの子は、47歳で『鶴は病みき』で文壇デビュー。49歳で急逝するまでの短い間に、『金魚繚乱』『老妓抄』などを次々に発表。川端康成らから高い評価を得たのです。
 後に日本を代表する芸術家となった太郎は、情熱的に生きた母親をこう語っています――「あんな素晴らしい本物の芸術家の女と親しく付き合えたことは実に幸福だった」

1889〜1939年。歌人・仏教研究家・作家。神奈川県の大地主大貫家の長女として東京の別邸で生まれる。跡見女学校時代から短歌を発表。21歳で、後に一世を風靡した漫画家となる岡本一平と結婚。昭和4年から3年間、欧州に滞在。帰国後、小説を発表。代表作に『老妓抄』『鮨』『生々流転』など。歌集、仏教に関する著書も多数。一人息子は芸術家の岡本太郎。

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