時を創った美しきヒロイン カレン・ブリクセン

時を創った美しきヒロイン

全ての悲しみは物語。そう思えば、耐えることが出来るでしょう?

カレン・ブリクセンBaroness Karen von Blixen-Finecke

 1987年に公開されたデンマーク映画『バベットの晩餐会』は、静謐な画面、心に染み入るストーリーで大きな反響を呼び、アカデミー賞外国映画賞を受賞しました。
 その2年前にアカデミー賞作品賞を受賞した大ヒット映画『愛と哀しみの果て』は、アフリカを舞台にしたラブロマンスものでした。この2作品とも原作は、アイザック・ディネーセン。男性名ですが、実はデンマークの女性作家カレン・ブリクセン男爵夫人によるものでした。
 カレン・ブリクセンは、1885年にデンマークの海沿いの町、ルングステッズの名家に生まれました。本名は、カレン・クリステンツェ・ディネーセン。父親は元軍人で作家であり政治家でした。その最愛の父が、カレンが10歳の時に自殺します。
 やがて、カレンはコペンハーゲンやパリで絵画を学び、短編小説を投稿し、詩作します。そんなカレンの心にあったのは、自由への憧れでした――「囚われの私の心が歌うのは/ただ翼のこと、翼のこと」
 1913年、カレンは親戚のブロル・ブリクセン男爵と結婚。ブロルはアフリカでの農場経営を夢見、翌年2人は新天地へ渡ります。憧れの翼を得たカレンは、夫と英国領のケニアでコーヒー農園を始めますが、栽培には適さない土地でした。「この高地で朝目がさめてまず心にうかぶこと、それは、この地こそ自分の居るべき場所なのだというよろこびである」――農園の経営がうまくいかなくても、余りある美しい大自然がありました。しかし、カレンは夫から重い梅毒をうつされ、2人は離婚。夫は去りますが、カレンは一人広大な農場に残り、終生ブリクセン男爵夫人と名乗り続けます。
 そして、親密になったのが英国貴族のデニス・フィンチ=ハットンでした。サファリに明け暮れ、その合間に農場に滞在するデニスとのひと時は至福に満ちたものでした。
 しかし、ついに農園は破産。さらにデニスを飛行機事故で亡くし、その2か月後の1931年。46歳のカレンはアフリカへ別れを告げます――「無一物となったとき、私は運命によってやすやすと取りのぞかれる、軽やかな存在に変身していた」
 こんな気丈な言葉とは裏腹に憔悴しきって故郷に帰ったカレンは、母親に小遣いをもらう生活に焦りを感じます。生きる意味を模索する中、かつてデニスがカレンの話す物語を楽しみにしていたことを思い返すのです――「農園にくると彼はこうたずねる。『なにか話ができた?』デニスがいないあいだ、私は沢山の物語をつくっておくのだった」
 こうして、カレンはデニスに語りかけるように英語で古の物語を紡いでいきます。いくつもの出版社から断られた末に、アメリカでアイザック・ディネーセンという筆名で『七つのゴシック物語』が出版されたのは、1934年のことでした。
 そして、別世界へと飛翔するつづれ織りのような物語が大評判となったのです。3年後には、自伝的小説『アフリカの日々』を発表。1954年にノーベル文学賞を受賞したヘミングウェイに「私よりもディネーセンこそ、この栄誉にふさわしい」と言わしめる作家となったのです。「全ての悲しみは物語。そう思えば、耐えることが出来るでしょう?」――まさに物語のような波乱の人生を生きたカレンの言葉です。

1885〜1962年。小説家。デンマーク生まれ。1914年から17年間、ケニアでコーヒー農園を経営するが、経営破綻。帰国後、執筆活動に入る。『七つのゴシック物語』『アフリカの日々』(映画『愛と哀しみの果て』の原作)、『運命奇譚』などを次々に発表。英語ではアイザック・ディネーセン名で著し、デンマーク語ではカレン・ブリクセン名で著す。現在、デンマーク紙幣の肖像になっている。

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