時を創った美しきヒロイン 田部井 淳子

時を創った美しきヒロイン

どんな逆境も、一歩一歩歩みを重ねることでしか乗り越えられない

田部井 淳子Junko Tabei

 1975(昭和50)年5月16日、世界最高峰のエベレスト8848㍍の頂上に35歳の田部井淳子が立ちました。女性初の登頂成功という偉業で大騒ぎとなりますが、淳子は「私にとって山は趣味。普通の生活をし、ピアノを弾き、子供を育て、そんな中から山に行く。ただ山が好きだから」と淡々としたものでした。
 田部井淳子は、1939(昭和14)年に福島県三春町に、7人兄姉の末っ子として生まれました。体が小さく、音楽が大好きな引っ込み思案な少女でした。その淳子が小学4年の夏休み、担任の先生に連れられて2000㍍近い那須連峰の一つ茶臼岳に登ったのです。山頂辺りの緑のない山肌、真夏なのに清涼な空気、淳子は未知なる世界に魅入られます。
 やがて東京の大学に進学しますが、憧れと現実のギャップに悩み、精神的に追い詰められて休学してしまいます。そして、復学したある日曜日。友人に誘われて東京の奥多摩に山歩きに出掛けたのです。久々の山の空気に、淳子の心は躍ります――
「東京にも山はあったんだ!」
 それから、淳子は休日のたびに東京近郊の小さな山々を巡るようになります。ゆっくりと、ただひたすら自分の楽しみのために。「一歩一歩汗して歩いてきたからこそ、ここにいるんだ」――その充足感が淳子の自信につながっていくのです。
 社会人になった淳子は、山岳会に入り本格的に登山を始めます。〝山は男の世界〟という当時、果敢に冬山に挑戦し、岩壁登攀をする小柄な淳子に、「女がくるところじゃない」という視線が向けられることも度々。でも、淳子は気にしません――「他人がなんと言おうと、どうでもいい。私の最大の楽しみだから」

 1967年4月、淳子は山で知り合った田部井政伸と結婚。夫の協力もあって、淳子の登山はますます勢いを増していきます。そして、「女だけで海外遠征を」を目標に結成された「女子登攀クラブ」を結成。数々の困難を乗り越え、1970(昭和45)年5月19日、ネパールのアンナプルナⅢ峰7555㍍の登頂を成し遂げました。世界では2番目、南面からは初登頂でした。
 その5年後のエベレスト登頂に、夫政伸の出した条件は一つ。「一人での留守番は嫌だから子供を」というもの。そうして、長女を出産して臨んだ登攀でした。山では、雪崩、高山病などの事故や病気が次々に隊員を襲います。極限状態の中、判断力も鈍り隊員同士で諍いも起こります。そんな苦境を乗り越えて、女には無理とされた登頂を達成したのです。「意志は貴い。意志こそ力だ」――淳子が胸に刻んだ思いです。
 長男を出産後も、夫の頼もしい支えに励まされ登山を続けます。そして、女性で世界初の7大陸最高峰登頂者となりました。淳子の活動はさらに、安全で楽しい登山の指導から山の環境保護まで広がります。
 東日本大震災後には、東北応援プロジェクトを展開。その最中、淳子にがんが見つかり余命3か月の宣告 が…。「オタオタするな」と自分に言い聞かせ、治療に専念しがんを克服します。そして2014年夏、薬の副作用が残る体で、被災した高校生たちと富士山登山に挑みました。若い人への淳子のメッセージです――「どんな逆境も、一歩一歩歩みを重ねることでしか乗り越えられない」

1939年、福島県三春町生まれ。登山家。’75年、女性世界初エベレスト登頂成功、’92年には女性で世界初、7大陸最高峰を登頂。年に数回、海外登山に出掛け、現在70か国以上の最高峰・最高地点を登頂。メディアへの出演や執筆、健康山登り教室の講師などを通じて山登りの楽しさを多くの人に伝えている。『それでもわたしは山に登る』『山の単語帳』など著書も多数。ピアノ、琴(師範)、イタリア歌曲など趣味も多彩。

参考文献/『エベレスト・ママさん』(山と渓谷社)、『それでもわたしは山に登る』(文藝春秋)

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