時を創った美しきヒロイン 林 芙美子

時を創った美しきヒロイン

花のいのちはみじかくて 苦しきことのみ多かりき

林 芙美子Fumiko Hayashi

 「私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない。」――自らをこう書いた林芙美子の『放浪記』が、昭和5(1930)年に出版されると、たちまち60万部のベストセラーとなります。東京の底辺で貧困と孤独にあえぎながらもひたむきに生きる26歳の芙美子の自伝的小説でした。
 林芙美子、本名フミコは、明治36(1903)年に北九州の門司で生まれたと推測されています。母キクの私生児だったため、正確な出生日は不明です。行商人の実父は商売が成功。芸者を家に引き入れたため、キクは20歳年下の店員と一緒に芙美子を連れて家を出ます。
 一家3人は九州を行商しながら、極貧の生活を続けます。物売りを手伝う芙美子は、小学校も満足に通えません。そんな中、芙美子の唯一の楽しみは、わずかな小遣いをもらっては貸本屋に走ること。
 ようやく一家が尾道に落ち着いたのは大正5年。芙美子は2年遅れで小学校を卒業すると、尾道高等女学校に進学します。当時の女学校は、芙美子のような階層では入学できるはずもありませんが、教師の熱心な勧めがあったのです。芙美子は帆布工場のアルバイトや女中奉公をして学費を稼ぎます。そして、地方新聞にせっせと詩や短歌を投稿する文学少女となっていきます。
 大正11年春、女学校を卒業した19歳の芙美子は、東京の大学に進学した初恋の人、岡野軍一を追って上京。彼は今の境遇から救い出してくれるはずの資産家の息子でした。しかし、岡野は大学を卒業すると、あっさりと芙美子を捨て、故郷に帰ります。

 「地球よパンパンとまっぷたつに割れてしまへ!」――初恋に破れた芙美子の再びの放浪生活が始まります。露店、女中、セルロイド人形の絵付け、カフェーの女給…。低賃金の職と住まいを転々とし、同棲した男達からは暴力を振るわれ、裏切られ――「男に放浪し職業に放浪する私、あゝ全く頭が痛くなる話だ。」
 「バナヽに鰻、豚カツに蜜柑、思ひきりこんなものが食べてみたいなア」
――貧苦の中、文学への情熱を失わず、本を読み日記を書き続けます。詩や童話を書いては出版社に送りますがつき返されます。その頃、親しくなったのが画学生の手塚でした。彼は、恋に傷ついた芙美子を優しく受け止めます。そして、二人は結婚。貧しくとも、ようやく穏やかな生活を手に入れたのです。
 やがて、日記をもとにした『放浪記』を発表。雑草のようにたくましく生きるヒロインに多くの人が共感したのです。芙美子は一躍、流行作家の道を駆け昇っていきます。
 「やっぱり旅はいヽ。あの濁った都会の片隅でへこたれてゐるより、こんなにさっぱりした気持になって、自由にのびのび息を吸へる事は、あゝやっぱり生きてゐる事もいヽなと思ふ。」――貧しい時代にも旅の衝動に駆られた芙美子は、印税を手にすると、再び旅に出ます。中国、パリ、ロンドン、樺太…。
 さらに、日中戦争が始まると、従軍記者となり戦地ルポで華々しく活躍。戦後は、『晩菊』『浮雲』などの傑作を次々に執筆。連載を何本も抱え憑かれたように書き続ける中、急逝したのは47歳の時でした。
 「花のいのちはみじかくて 苦しきことのみ多かりき」――色紙に好んで書いた芙美子の名句です。

1903~1951年。作家。北九州の門司生まれ(下関説もある)。実父、養父ともに行商人で九州を渡り歩いた末、13歳の時に尾道へ。尾道高等女学校を卒業後、恋人を追って上京。様々な職業を転々とした赤貧と失恋の日々を綴った『放浪記』で昭和初期に大ブレイクする。戦後も『晩菊』『浮雲』などを発表し、47歳で急逝。没後、多くの作品が映画化、舞台化されている。

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