時を創った美しきヒロイン 金子 みすゞ

時を創った美しきヒロイン

わたしはすきになりたいな、何でもかんでもみいんな。

金子 みすゞMisuzu Kaneko

 「朝焼小焼だ/大漁だ/大羽鰮の/大漁だ。/浜は祭りの/ようだけど/海の中では/何万の/鰮のとむらい/するだろう。」
 昭和41年、当時大学生だった児童文学者の矢崎節夫氏は、『日本童謡集』の中で金子みすゞの「大漁」という詩に出会い、激しく心を揺さぶられます。そして氏は、16年の歳月をかけて、みすゞの512編もの遺稿を探し当て、世に出したのです。
 金子みすゞ(本名テル)は、明治36年に山口県の仙崎に生まれました。テルがわずか3歳の時、父が死去したために、母は、テルの弟正祐を下関で上山文英堂という大きな書店を営む妹夫婦に養子に出します。そして、そのつてで母は仙崎で書店を開き、一家を支えます。
 テルは、誰にでも心優しく素直な少女で、成績も優秀。空想にひたり、お話をつくることが大好きでした――「学校へゆくみち、ながいから、/いつもお話、かんがえる」
 テルが16歳の時、上山文英堂の叔母が急死し、母が後添えとして上山家に嫁ぎます。やがてテルは、文英堂の小さな出店を任されるように。
 店番をしながらテルは、当時、大流行していた童謡雑誌に心をときめかすのです。〝私も書いてみたい〟――自分でも童謡を書き始めたテルは、金子みすゞのペンネームで投稿。その二か月後、投稿した四誌がお店に並んだ日。雑誌をそっと開いてみると、すべてに入選していました――「嬉しいのを通りこして泣きたくなりました」
『童話』では、尊敬する詩人西條八十が「どこかふっくりした温かい情味が謡全体を包んでいる」と称賛。感性豊かに、すべての営みを優しく見つめるみすゞの詩は、全国の文学少年少女の人気を集めます。

 その頃養父は、店の番頭とみすゞの結婚を決めます。しかし、身持ちが悪く文学を解さない夫で、最初から不幸な結婚でした。大正15年、長女ふさえが誕生。夫の行状は相変わらずでしたが、嬉しいこともありました。西條八十が下関に立ち寄った際、会うことが叶ったのです。
「お目にかかりたさに、山を越えてまいりました」――ふさえをおんぶして普段着姿で現れたみすゞ。その印象を、「彼女の容貌は端麗で、その眼は黒曜石のように深く輝いていた」と、八十は追想しています。
 けれども、この頃からみすゞの体調が悪化。夫に性病をうつされたのです。その上、夫はみすゞに詩作を禁じます。それでもみすゞは、『南京玉』と名づけた日記に、幼いふさえの愛しい言葉の数々を書き留めていくことに慰めを見出します――「人にはなんでもないけれど、それを書いてゆくことは、私には、何ものにもかえがたい、たのしさだ」
 ようやく離婚が成立した直後、夫が「ふさえを渡せ」と要求してきます。女性に親権がない時代、悩み抜いたみすゞは、昭和5年3月10日、26歳の生涯を自ら終えました。ふさえを上山家で育ててほしいという命を賭けた願いを託して…。
 その望みはかないましたが、ふさえは長い間「母は私を置いて死んだ」と反発。しかし、忘れ去られたみすゞが、矢崎氏によって現代に甦ったのです。そして、ふさえがそれらの作品を読み終えた時、理解したのは母の深い愛だったといいます。

1903~1930年。詩人。山口県仙崎村(現在の長門市)に生まれる。本名テル。20歳でペンネーム金子みすゞで投稿を始め、西條八十に「若き童謡詩人の巨星」と称賛される。昭和2年には、日本童謡詩人会に認められる。女性では与謝野晶子に次いで2人目だったが、26歳で自らその命を絶つ。没後54年を経て、矢崎節夫の尽力で再び脚光を浴びる。

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