時を創った美しきヒロイン 皇妃エリザベート

時を創った美しきヒロイン

この国を離れ、どこか遠いところへ行きたいのです。

皇妃エリザベートElisabeth, Empress

 1853年8月16日、オーストリアの保養地で、オーストリア帝国の23歳の若き皇帝フランツ・ヨーゼフのお見合いが行われていました。お相手は、皇帝の母ゾフィー大公妃の姪にあたる19歳のしとやかなヘレーナ。ところが、皇帝が一目惚れしたのは、姉に付き添ってきた15歳のお転婆な妹エリザベートでした。
「私のような未熟な者が、あんな素晴らしい皇帝を幸せにしてさしあげられるのかしら…」――不安いっぱいのエリザベートでしたが、求婚を受け入れるしかありませんでした。
 エリザベート愛称シシィは、1837年に南ドイツのバイエルン王国の貴族に生まれました。父親は、開放的で芸術や乗馬、狩猟を愛する自由人。その気質を強く受け継いだシシィは、野山を馬で駆け回ることが大好きな野性的な美少女に育ちます。
 そんな天真爛漫なエリザベートがわずか16歳で、栄華を極めるハプスブルク王家の皇妃となったのです。
 〝バイエルンの薔薇〟と称えられ、ウィーン市民に大歓迎されたエリザベートを気に入らなかったのはゾフィー大公妃でした。ゾフィーは、さっそく厳しいお妃教育を開始。歩幅から座り方、言葉使いまですべて厳密な規則があり、公式行事も山ほどありました。まさに拷問にも等しい日々の始まりでした――「私は牢獄で目覚める。失われた自由よ」。
 姑との確執に苦しみますが、フランツとの愛は深く、4人の子どもに恵まれます。けれどもゾフィーは、子育てを未熟な嫁には任せられないと子どもを取り上げてしまいます。
 その頃、ハンガリーではオーストリアからの独立の気運が起こっていました。ハンガリーを毛嫌いしていたゾフィーへの反感もあり、エリザベートは、ハンガリー贔屓となり、ハンガリー語をものにします。ハンガリーの人々は祖国を愛するエリザベートを厚く信頼し、オーストリアとの二重帝国を受け入れたのです。

 輝くばかりの美貌で行く先々で人気を集めるエリザベートですが、宮廷に戻れば、窮屈で心塞ぐことばかり…。やがて、次第に精神に変調をきたし、常軌を逸した行動に出るのです。身長172㎝、ウエスト50㎝の体型を維持しようと、激しいスポーツと絶食に近いダイエットにのめり込みます。1日何時間も競歩で歩き回り、馬を乗り回します。
 やせ衰えた彼女を診た侍医が勧めたのは、転地療養。「転地」こそエリザベートが望んだ言葉でした。
 「この国を離れ、どこか遠いところへ行きたいのです。太陽の明るい国へ」――そうしてエリザベートの数千キロにも及ぶ放浪が始まるのです。謀略渦巻く宮廷から逃れ、さすらいながらつぶやきます――「自然は人間ほどいやらしくありません」。
 しかし、1889年1月悲劇が!息子のルドルフ皇太子が男爵令嬢と心中したのです。愛する息子の傍にいられなかったという自責の念にかられたエリザベートは、夜毎霊廟を訪れては泣き叫びます。そして、生涯喪服をまとうのです。
 「何処でもいい、私の心の渇きが癒されるのなら」――哀しみを胸に再び旅に出たエリザベートは、1898年9月10日、スイスのジュネーブでイタリア人テロリストに胸を一突きされます。61歳でのあっけない死…。けれどもそれは、彼女が心から望んだ自由の世界への旅立ちでした。

1837~1898年。オーストリア帝国皇帝フランツ・ヨーゼフの皇妃及びハンガリー王妃。シシィの愛称で親しまれている。16歳でハプスブルク家に嫁ぎ、三女一男(長女は早世)を得るが、姑との確執などで宮廷を離れ、放浪の皇妃となる。欧州、トルコ、アフリカなどを回った。美と健康の追求や馬術競技にも熱意を傾けた。1898年スイスでイタリア人に刺殺される。

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