時を創った美しきヒロイン クララ・シューマン

時を創った美しきヒロイン

音楽こそは哀しみを忘れる最上の癒しだから

クララ・シューマンClara Schumann

 1837年9月、ピアノ教師フリードリッヒ・ヴィークに、弟子であるロベルト・シューマンが、ヴィークの娘で交際中だったクララとの結婚を願い出ます。クララは当時ヨーロッパで人気絶頂にあったピアニストで、父親のヴィークは「釣り合わん」と大激怒。二人は父親相手に裁判を起こし、ようやく結婚できたのは、1840年9月のことでした。
 「美しい人生……すべてのものより、己自身より、愛する彼の中にある人生である」
――結婚式の夜、日記にこう記し、夫へすべての愛を捧げる決意をしたクララでした…。
 クララ・シューマンは、1819年9月13日に、ドイツの音楽の都ライプツィヒで誕生しました。高名なピアノ教師である父は、家庭では暴君的で、母親はクララが幼い時に家を出ます。そこから、父は娘へのピアノのスパルタ教育を開始。そのピアノにクララは夢中になります。
 そんな父のもとに集まる生徒の中にロベルト・シューマンがいました。音楽家を目指し弟子入りした、クララより9歳年上の青年でした。
 クララは9歳でプロデビューを果たします。その演奏は聴衆を魅了し、父は自慢の娘を連れてヨーロッパツアーに旅立ちます。文豪ゲーテもオーストリア皇帝もショパンもクララを大絶賛。「天才少女」としてその名は欧州全土に響き渡ります。
 やがて、クララとシューマンとの間に恋が芽生えたのです。父の妨害は激しくなりますが、二人は訴訟までしてロマンスを実らせたのでした。

 結婚後、身近にミューズ(芸術の女神)を得たシューマンは数々の名曲を作曲。ドイツロマン派音楽の巨匠となっていきます。しかし、家に一台しかないピアノはシューマンに独占されたまま。子どもも次々に生まれ、クララから大好きなピアノが遠ざかっていくのでした…。
 さらに、クララの演奏会の収入が途絶えたことで、家計がひっ迫。逡巡の末、クララは子どもを夫に託して、演奏旅行に出ることを決意します。「彼への愛のために決行したのです」――クララはステージでは必ずシューマンの新曲を披露。そして、行く先々で、表現力が増したと賛辞を浴びます。「愛することが心の感じ方を豊かにするのです」
 1853年9月30日、20歳の青年が、シューマン家を訪れます。夫妻は、彼の作曲の才能に感嘆。このことがきっかけで世に出た青年が、ブラームスでした。この時から、年上の美しい人妻クララは、ブラームスの憧れのミューズにもなったのです。
 翌春、以前から精神的に不安定だったシューマンの病状が悪化し、ついに精神病院へ。ブラームスは、陰日向にクララの一家を支えます。
 そして2年後、シューマンは病院で息を引き取ります。悲嘆に暮れるクララ…。やがて、残された子どもたちの前で涙をぬぐいます――「私の幸福は彼とともに去った。けれども自由な新しい人生が始まった」
 クララは、子どもを育て、亡き夫の曲を弾くために演奏旅行を再開。ブラームスの新曲も真っ先にクララが助言し、演奏しました。子どもの死など数々の苦難にもピアノが終生の支えでした――「音楽こそは哀しみを忘れる最上の癒しだから」
 たくましく〝美しい人生〟を切り拓き、二人の大作曲家のミューズとして輝き続けたクララの生涯でした。

1819~1896年。ピアニス ト、作曲家。ドイツ生まれ。ピアノ教師の父からピアノのレッスンを受け、9歳でプロデビュー。欧州全土で天才少女と謳われ、女性初の職業ピアニストとなる。20歳で父の弟子ロベルト・シューマンと父の妨害をはねのけて結婚。8人(1人は早世)の子を育てながら、演奏活動を続ける。「ロマン派の花の精」と称えられ、多くの作曲もしている。

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