時を創った美しきヒロイン 澤田 美喜

時を創った美しきヒロイン

人生は、自分の手で、どんな色にでも塗りかえられる

澤田 美喜Miki Sawada

 戦後の混乱した昭和21年の秋、東海道線を走る列車が岐阜の関ヶ原にさしかかった時。網棚の荷物が、真下の女性に落ちてきました。闇物資を取り締まり中の警官が駆け寄ります。女性は命じられるままに風呂敷包みを開けると、現れたのは黒い肌をした赤ん坊の死体でした。
 警官は、その女性を母親と決め付けます。彼女は憤然として、「私がお産をしたばかりの体か調べなさい!」と、服を脱ぎかけたその時、乗客の証言で疑いが晴れました。女性の名は、澤田美喜。三菱財閥の創業者岩崎弥太郎の孫娘で、この日から彼女の戦いが始まったのです。
 美喜は、明治34年に三菱財閥三代目当主岩崎久弥の長女として誕生。男子が3人続いた後の待望の女の子でしたが、男勝りの子でした。母は、海外渡航の夢を娘に託し、津田梅子を招き、英語を学ばせます。
 やがて年頃になった美喜は、数々のお見合いの末に澤田廉三と婚約。彼は外交官で、しかもクリスチャン。岩崎家は熱心な真言宗徒で、美喜が心ひかれていた聖書は禁止でした。結婚は、「外国生活と、キリスト教徒になれるチャンス」でした。
 結婚後、南北アメリカやヨーロッパ、北京を移り住み、三男一女に恵まれます。美喜はどこへ行っても、物怖じしない社交的な性格で人気を集めます。しかし、華やかな世界にいつしか虚しさを覚えるように…。
 そんなイギリス滞在中に出会ったのが、広大な森の中にある孤児院でした。子供たちは、みな清潔で明るく、学校も職業訓練所も併設されています。「捨てられた子供が、引っ張りだこになるような人間に育てるのは素晴らしい魔法です」――院長の言葉に心を揺さぶられる美喜。そして、「人を幸福にする喜びがある」ことを深く胸に刻みつけるのです。
 やがて帰国した日本は、戦争へと突き進み、美喜の三男は戦死。大きな悲しみの中で終戦を迎えます。

 そして、日本を進駐軍が占領すると、米兵と日本女性との間に混血児が生まれるようになります。望まれずに捨てられた混血児の死体を町で目にすることも…。そんな時に起きたのが、冒頭での出来事でした。美喜の胸にイギリスの孤児院が甦ります。「日本中のこうした子供たちの母親になること。これこそ私の余生を捧げる仕事!」
――美喜が混血孤児救済を決意した瞬間でした。
 岩崎家の大磯の別荘が孤児院建設に最適でしたが、すでに政府の手に。美喜は、なりふり構わぬ金策をして買い戻します。初の寄付をした英国人女性の名にちなみ「エリザベス・サンダース・ホーム」と名付けられた混血児のためのホームがスタートしたのは、昭和23年のことでした。
 けれども、当時の混血児に対する憎悪と差別はすさまじく、罵詈雑言を浴びせられる毎日。さらに、混血児の存在を恥じた米軍が施設運営を徹底的に妨害します。そのため、ホームは厳しい財政難に。そこで美喜は、毎年アメリカを講演で回り、心ある人々に寄付を募りました。
 小中学校までつくり、「ママちゃま」と慕われ、育て上げた子供は2000人。差別に苦しみ中には道を踏み外す子もいましたが、美喜は母であることを諦めませんでした――「人生は、自分の手で、どんな色にでも塗りかえられるものである」

1901~1980年。社会事業家。三菱財閥令嬢として東京で誕生。外交官澤田廉三(後に初代国連大使)と結婚し、海外生活を送る。戦後、混血児のための「エリザベス・サンダース・ホーム」を設立。小中学校を併設し、卒園生たちの自活のためにブラジルに農場まで造る。アメリカの養子縁組法を改正させ、何組もの養子縁組にも成功。78歳で旅行先のマヨルカ島で急死。

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